平川哲生 一覧

世阿弥『風姿花伝』(6/6)

世阿弥『風姿花伝』(6/6)

読み終わったところで『花鏡』についてあれこれ調べていたら、押井守監督の映画『イノセンス』の話題が目に入った。あれは世阿弥の引用だったらしい。しかもクライマックスのいいところで使われている。たぶん、人形とはなにか、ひるがえって、アニメとはなにか、という問いかけになっている。 生死......

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世阿弥『風姿花伝』(5/6)

世阿弥『風姿花伝』(5/6)

『風姿花伝』には「この藝において、大方、七歳をもて初めとす」とあり、能楽は七歳ごろに学び、教わりはじめるらしい。 能楽は家のものに芸を伝える「一代一人の相傳」だが、この七歳くらいの時期は学習に都合のいい時期なのだろう。よく「七歳までは神のうち」と言われたりもする。子供を育て......

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世阿弥『風姿花伝』(4/6)

世阿弥『風姿花伝』(4/6)

『風姿花伝』の「花」ということばから生まれる象徴性を駆使して芸道を語る手さばきは、掛詞や縁語を使って独特な世界をかたちづくる能楽師の才能がよく表れていると思う。詩的である上に、実にプラクティカルな能楽のハウトゥでもある。 *** 物学(ものまね)で「物狂」をまねるとき......

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世阿弥『風姿花伝』(3/6)

世阿弥『風姿花伝』(3/6)

わたしは大まかに世阿弥の一生を知っているので、『風姿花伝』を読みながらたびたび「あれ?」と思った。「花」の意味が「能楽師の花」と「見物人の花」のふたつに分かれているじゃないか、と。 能楽は、芸を極めた先の「芸術」なのか。それとも見物人が楽しむための「商品」なのか。世阿弥の論......

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世阿弥『風姿花伝』(2/6)

世阿弥『風姿花伝』(2/6)

世阿弥『風姿花伝』では、物学(ものまね)を究めることよりも、もっと重要なことが「年々去來の花を忘るべからず」だと説く。これはもう達人の領域である。世阿弥の父の観阿弥は『自然居士』を舞ったときすでに老人であったのに、見物人には16歳の若者が舞っているように見えた、というエピソードと......

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世阿弥『風姿花伝』(1/6)

世阿弥『風姿花伝』(1/6)

世阿弥『風姿花伝』を読んだ。詳しい解説はその筋の方にまかせて、わたしは気になったことをずらずらと書いてみる。 *** 気になった部分を二点ほど上げる。 まずは一点目。能楽はからだを使ったパフォーマンスと音なので、記録やかたちに残らない。世阿弥の生きた室町時代には......

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ドラえもん のび太の道具問題

ドラえもん のび太の道具問題

映画ドラえもんの歴史をひとことで言えば「いかに道具を使わせないか」である。 未来の道具は便利すぎるために、あらゆるピンチや逆境が成り立たない。たとえば、たいていの物理的な障害は、どこでもドアとビッグライトで解決してしまう。どこでもドアの便利さは言うまでもないだろう。またビッ......

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『赤毛のアン』――刈入れどきを待つごとく

『赤毛のアン』――刈入れどきを待つごとく

高畑勲監督のテレビアニメーション『赤毛のアン』は、広い意味での「変化」を描いている。その「変化」は肉体的・精神的な成長、人間関係、心情、生活習慣、四季のうつろい、誕生と死、などである。それらは「ゆるやかな変化」と「劇的な変化」に大きくわかれる。そもそも原作がそういうつくりをしてい......

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映画『太陽』

映画『太陽』

吉祥寺バウスシアターでアレクサンドル・ソクーロフ監督の映画『太陽』を見てきた。混雑を予想して上映30分前に着いたが整理券は50番台。映画館は若者からお年寄りまでのはば広い客層でごったがえしていた。 『太陽』は映画的としか言いようがない映画だった。あまりにも映画的すぎるために......

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『人狼』のイメージの連鎖とレイアウト技術

『人狼』のイメージの連鎖とレイアウト技術

どうやったら『人狼』みたいな作品はつくることができるのでしょうか。ここでは主にイメージの連鎖でそれを追ってみたいと思います。 イメージの連鎖とは何か。映画は、豊かな意味を持つイメージがぶつかり合い、意味を連鎖的にかけ合わせていく表現形式です。そのイメージの連鎖からはあらゆる......

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