小説:ほんとうのしあわせ

原チャリを買ったので、近くの海まで行ってみる。

水着も何もないのでボケッと海岸を眺めていたら、珍しい大きめの亀いた。産卵してるのかと思ったが、どうやらバタバタしてるだけのようだ。ずっと前に動物園で見たゾウ亀に似ている。

数人の子供らが来て、蹴ったり砂をかけたり亀をいじめだした。私は礼儀を知らない子供が、作画の悪いアニメの次に嫌いなので、でかい声を出して追い払った。

すると亀は「ありがとうございます。お礼にあなたを竜宮城に招待します」と言う。今日は深酒もドラッグもやってないはずだ。幻覚にしてはあまり亀の目が真剣なので(涙も流している)、ちょっと断りづらくて、結局言われるままに海にもぐった。

亀の甲羅はゴツゴツして座るのに適していない。水中で呼吸もできるので、いよいよ幻覚も本格的だ。こうなると竜宮城にも期待がふくらむ。お膳立てしてくれたあの子供らにも感謝しなくちゃならない。

竜宮城はきれいだった。乙姫さまは甲田益也子っぽいのを期待したが、残念なことに魚だった。となりの魚は「乙姫さまは竜宮城でいちばん美しいです」と言う。そ、そうなのか。人間の私にはちょっと判らない。

タイやヒラメの舞い踊りと話に聞くが、実際にはもっとたくさんの種類の魚が華麗なダンスを見せてくれる。日ごろ調理済みの魚しか知らないので、どんな魚が踊っていたか詳しく書けないのが悔しいところである。ダンスのステキさも、筆舌に尽くしがたい。

見た目グロテスクな料理は食べてみると美味しいし、水中で飲むというオツな酒もイケる。まさに至れり尽くせりである。何匹かのメス魚が私に色目を使ってきたが、まばたきしない魚眼はやっぱり気持ち悪いので、せっかくだけど丁重にお断りした。どうして人間じゃなくて魚にモテるんだ! くそ~!

盛大な宴も終わって帰途につく。亀の甲羅の上で尻に痛みを感じていたら、急にさみしくなった。友達との飲み会の後、すぐ家に帰りたくない気持ち。このまま家に入ると、楽しい今日が終わってしまう。つらい明日の前に、もう少し今日を満喫したい。だからちょっと遠回りして、家に帰るときの気持ち。

亀はそんな気持ちを無視するように、迷いなくまっすぐ、はじめの海岸へ戻してくれた。かなり時間が経ったはずだが、まだ空は明るい。原チャリは長いこと潮風にあてたせいか錆びてボロボロになってしまった。

最後に亀は、おみやげとして玉手箱をくれた。開けたらジジイになるんだろ? と訊くと、だったら開けるのはおやめなさい、と答えた。そう言われると開けたくなるのが、安達ヶ原からの人間の業である。

ゆっくり玉手箱の蓋を取ると、中にはきれいな珊瑚のブローチが入っていた。

私は砂浜に泣き崩れた。どうせなら老人にしてほしかったんだ。こんな愚かで退屈な人生を、少しでも短くしてほしかったんだ。魚のように自由な生きかたを知った私にとって、人間として生きる時間は、苦行以外の何ものでもなかった。

波の音が、遠く、遠く、聞こえる。

私はあまりにも悲惨な浦島太郎だった。

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