『しとやかな獣』、『真田風雲録』、『女は女である』

急ぎの仕事がない土曜日だ、さあだらしなく生活するぞ、と早起きして近所の映画館ラピュタ阿佐ヶ谷に行く。見たのは川島雄三『しとやかな獣』、加藤泰『真田風雲録』、ジャン・リュック・ゴダール『女は女である』の三本。

しとやかな獣』は、舞台脚本っぽいセリフの多いブラック・コメディを、おかしな照明や構図、でたらめな演出、役者の味のある演技、この三本柱を武器に小気味よく編集しました、という内容。冒頭のふたつの部屋を行き来する夫婦のシーンとか、アパートの屋上で濡れるカバンのシーンはすごくよかった。川島雄三は早く『幕末太陽傳』を見なければ、と思う。

次に見た『真田風雲録』はなにもかもが良かった。黒沢清の本で「人が歌う映画」として紹介されていて、期待してたんだが予想以上だった。なんと歌詞がテロップで出る! 東映らしい厚化粧とセット、焚きすぎのスモークも笑える。

ほとんどセット撮影のなか、一転したラストの空撮がすごい。エスパーである猿飛佐助が、人の心が読めてしまうだけに誰かと深い関係を結べないという孤独と、しかし人間である以上はひとりでは生きていけないという現実を背負って、荒野を歩いていく。その空撮。泣ける。

ゴダール『女は女である』は、すぐに子供がほしい女性と、結婚するまで子供はつくらない方針の恋人と、横恋慕する男性の三人で、ドタバタする内容。前に「映画の微妙なシーンが好きだ」と書いたけれど、この映画は微妙なシーンしかない。そこがすごい。

たとえば「どっちの男性が好き?」と訊かれた女性は「ばかなことできる方が好き」なんて答える。で、男ふたりは「ばか合戦」でしのぎを削る。ああ、くだらない。

あと、ヒロインはヌードショーを見せるバーで働いているんだけど、その舞台裏に「どこでもドア」みたいな不思議なドアがある。友人が「これすごいのよ」とか言って、真横から見たドアを通り抜けると、なんと一瞬で舞台衣装に着替えている! ショーが終わったあと、半裸のヒロインが「これわたしも使っていい?」とか言って、ドアを通ると、また一瞬で洋服を着ている!

このシーンでなにより笑えるのは、ふつうの映画ならドアの不思議さを出すためにトリック撮影して、ワンカット処理っぽく見せるだろうに、わざわざカットを分けて、ぎこちなくつないでるのだ。不思議なドアっていうか、カットを割って着替えてるのバレバレじゃん、という面白さ。やみくもにおちゃめだ。

こういう微妙なシーンは、時間を効率よく使わなければならない物語映画には、ほとんど出てこない。だからハリウッド映画では、めったに見られない。そういう意味で、微妙なシーンばかりのこの映画はとても貴重だなぁ、と思った。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存