『とりかへばや、男と女』と『日出処の天子』

河合隼雄『とりかへばや、男と女』を読んでいる。この本は『とりかへばや物語』という古典をもとに「男女の境界」とか「社会的枠組み」、「愛と美」や「エロス」などについて考えていく内容。面白い。

ユングのアニマ・アニムス論、元型という考え方、初期のユングが混同していた元型と元型イメージのちがい、などは話がややこしい。久しぶりにゆっくり調べつつの丁寧な読書をしていった。

読んでいてたびたび思い出すのが、山岸凉子さんの傑作漫画『日出処の天子』だった。もしかしたら『日出処の天子』は『とりかへばや物語』を参考にして描かれたんじゃないだろうか、というくらい類似している。

『とりかへばや物語』は平安の王朝時代に、姉弟がそれぞれ性を逆転させて男と女として育ち、男として成長した姉は結婚までする。女同士の夫婦だが、ひそかに「姉」に心ひかれる「中将」と「嫁」が浮気をして子供をつくってしまい、「姉」と「嫁」と「中将」の複雑な関係が描かれる。さらに「姉」も「中将」と結ばれ子供ができてしまい、出世街道をまい進していた「姉」は身分を捨てて「隠者」のもとに身を隠す。また、それぞれの関係が政治にも影響をおよぼす。

とりかへばや、男と女』に紹介されているほとんどの物語に『日出処の天子』は似ていることにあらためて驚かされた。『日出処の天子』は「男女のとりかへ」じゃなくて「男同士の同性愛」だが、『とりかへばや物語』の男としての姉に心ひかれる「中将」は同性愛とも考えられ、設定としてかなり似ていると思う。また同じく「男女のとりかへ」を主題にした『ルツィドール』には「結ばれてはいけない男女が暗闇で結ばれる」ところなどそっくりなシーンがある。

これは山岸凉子が「男女のとりかへ」を主題にした物語を創作する過程で、知らず知らずに古典たちのいいとこどりをしてしまった結果なのだと思う。しかし「男女のとりかへ」を主題にした古典の物語はたいていハッピーエンドで終わるのに対し、『日出処の天子』の孤独と逃げようのないせつなさ、ニヒリズムはどうだ。

日出処の天子』の副読本としても『とりかへばや、男と女』をおすすめしたい。また『とりかへばや、男と女』を読んだら『日出処の天子』が読み直したくなることうけ合いである。

  

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