映画『大地の子守唄』を見る

増村保造監督の映画『大地の子守唄』は、四国の山で育ったケモノのような娘が、だまされて離島の売春宿に売られ、いじめられても負けん気の強さでやり返し、自分ひとりの力で生きてやるとばかりにやりたい放題わがまま放題、それがたたって視力を失うが、とつぜん現れたなぞの宣教師に助けられて故郷にもどり、お遍路さんになる、というお話。あらすじだけ読むとつまらなそうだが、いろんな意味で楽しい映画なのはまちがいない。

宮崎あおいそっくりのかわいい娘が、体当たりの熱演で、ケモノみたいに叫んで暴れて、惜しげもなく脱ぐ。きゃしゃな体に似合わないふくよかな乳がすばらしい……なんて書くと個人的な趣味で喜んでると勘ちがいされそうだが、増村監督の乳へのこだわりぶりが尋常じゃないのである。

たとえば、売春宿に軟禁されてスネていた娘が、友人の説得で、故郷にもどるためにしっかり働こうと覚悟を決めるシーン。そこで娘はとうとつに着物の胸もとをぐいと肌けさせる。いきなりのことで説得していた友人もあ然とするが、娘はなにくわぬ顔で「ノミをとるんだ」などと言う。山育ちの娘が垢抜ける決意をしたセリフ、と解釈できないこともないが、ちょっと無理やりすぎる……。乳を見せるためのデタラメだろう。

あるいは、娼婦になりたくないとだだをこねる娘が、数人の男に折檻され、いやいやながらも娼婦としての道を歩みはじめるというシーン。娘は薄暗い部屋で両手を天井につるされ、血まみれの乳を棒などで叩かれて泣き叫ぶ。ここではじめて娘は裸になるのだが、いきなり血まみれのSM状態。増村センセ、趣味に走りすぎです。

終盤のクライマックス、なぞの宣教師に助けられ、やっと故郷にもどれるというシーン。娘は心から感謝し、宣教師に「お金はいらないから抱いてください」と言って、おもむろに上着を脱ぐ。宣教師の素性は最後までわからないが、娘が孤児らしいので、もしかしたら父親だったのかもしれない。それにしてこのシチュエーションは変態だ。

このように乳のシーンを集めると、決まってストーリーの重要な転換点であることがわかってくる。つまり小津の「食べもの」や溝口の「地面を転がる男女」と同じように、乳は画面に現れることで物語を大きく展開させる役割を担っているのだ。中盤から娘は胸元の大きく開いた着物を着るようになるが(チラリズム!)、売れっ子の娼婦になったことはセリフで語られるのみで、客と寝ている描写もなければ裸にもならない。ストーリーの転換点がおとずれないときは徹底して乳を見せないという周到な計算。こだわりの乳演出なのである。

思わず「ごちそうさま」と言いたくなるほど、乳による乳のための映画。

増村保造はとことん偉く、そしてエロい。

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