アニメにおける手の表現について

涼宮ハルヒの憂鬱』のライブ場面は「手」に注目すると面白い。顔は骨格のないアニメキャラを無理やり動かしたせいで、ありえない位置にほうれい線が浮かぶなどして絵的に崩れているが、「手」はちがう。アニメの「手」は「顔」と比べて、けっこう自由な表現ができる特別なものなのだ。

フリクリ』に登場した手の形のロボット、『ジャイアントロボ THE ANIMATION』の船から飛び出る巨大な手、『トップをねらえ!』のロボットを操作する手、『パトレイバー2』の手の擬態……などなど手に関する優れた描写を挙げていけばキリがない。

では、なぜアニメにとって「手」は特別な表現なのか。ざっくり理由を考えて箇条書きにしてみた。

1. アニメのキャラクターは骨格のないものが多い
2. したがって人間らしく、もっともらしく動かしすぎるとおかしくなる
3. たとえば『ハルヒ~』のように顔が、表情が崩れる
4. または大平晋也や橋本晋治の作画のように体格が崩れる
5. しかし「手」はからだのほかのパーツにくらべて骨格がわかりやすい
6. キャラクターデザインが変わっても、手だけは同じかたちになる
7. つまりアニメの「手」は人間らしく、もっともらしく動かしやすい
8. アニメの「手」はエロスを表現しやすい特別なパーツである

アニメの「手」に注目して見直してみると、いかにこれが特別なものかわかって面白いだろうと思う。

加えて『サンダーバード』の人形劇が「手」だけ実写でも変に感じない理由は演出力だけか? 文楽などの人形が「手」にたくさんの意味作用を持たせているのはなぜか? 写真や絵や映画に出てくる「手」はどうか? これを詳しく分析していけば、アニメーションの表現論はかなり面白いところまで進めるかもしれない。

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