アニメにおける乳房の表現について

涼宮ハルヒの憂鬱』を見ていて思ったのだけど、アニメで描かれる女性の乳房は、水風船やゴムまりみたいに見える。どれだけうまいアニメーターが描いても、現実にある乳房の魅力とはちがうものが表現されてしまう。これはなぜなのか。

現実にある乳房の魅力を考えてみよう。たとえば大きいJカップの女性でも、肌にハリがあったり、つっぱったりしていると、やわらかそうに見えない。じっさい触ってもそれほどやわらかく感じない。逆に小さいAカップの女性でも、肌に伸縮性があったり、うるおいがあってモチモチしていたら、やわらかそうに見える。じっさい触れば思った以上にやわらかく感じる。つまり、現実にある乳房は「肌の質」というか「皮膚」に大きく関わってくるのだ。

よく「女性のにの腕を触れば乳房のやわらかさがわかる」と言われるのは、これで筋がとおる。にの腕の「肌の質」がわかれば、乳房のやわらかさもわかるのだから。女性は気をつけましょう。男はみんなオオカミなのです、わたし以外は(冗談)。

現実にある乳房はかたちを重視される。おわん型とか、ヤギ型など。たれ乳なんてさげすんだ言い方もある。これもようするに「肌の質」、皮膚の伸縮性の話になるのだ。

そう考えると、アニメで描かれる乳房が水風船やゴムまりみたいになってしまう理由もわかる。アニメに登場する女性は、うぶ毛や毛穴、シミそばかすはもちろん、鼻の穴からくちびるにいたるまで、みんな省略して抽象化してしまう。とうぜん「皮膚」も抽象化される。やわらかそうな皮膚も、固そうな皮膚も、まとめてベタッとセル塗りで表現してしまう。

アニメが乳房を描けないのは「皮膚」を抽象化してしまうからだ、と結論づけられる。

言うまでもなく『涼宮ハルヒの憂鬱』で描かれた乳房も水風船のようなニセモノだった。これを見て興奮できるのは女性を知らない人か、水風船マニアぐらいだろう。『攻殻機動隊』の素子のように、外装(皮膚)をびりびりにやぶくぐらいしないと、アニメで「皮膚」は表現できないのだ。

では、アニメではいままで一度たりとも、きちんと乳房が描けていないのか? いや、そんなことはない。わたしたちはすでに見ている。『新世紀エヴァンゲリオン』で碇ゲンドウの手が、綾波レイの乳房にぬるりと溶けこんだ場面を思い出そう。ここでは、皮膚がかぎりなくゼロに近づいたかわりに、現実ではありえない特別にやわらかい乳房が表現されていた。

いやむしろ、やわらかさを超えた奇形的な乳房が描かれていたと言うべきだろう。『涼宮ハルヒの憂鬱』の奇形的なエロスあふれるライブ場面とか、『新世紀エヴァンゲリオン』の奇形的な乳房は、現実を超えたものを描き出した。『攻殻機動隊』の奇形的な皮膚も同じだ。

現実そのものではなく、いつだって奇形的に逸脱したものしかアニメは描けない。奇形性をもって現実を明るく照らしだすような、そんな表現しかできないのだ。

それを喜びととるか悲しみととるかは、人それぞれだろう。まだまだアニメにはたくさんの可能性が残っている。わたしたちのアニメーションの冒険は、はじまったばかりである。

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