アニメーションのエロスとタナトスについての補足とまとめ

先日書いた「アニメーションのエロスとタナトス」があちこちでリンクされたようでアクセス数が倍増してます。ところが、わたしが無理やり単純化して書いたために誤解された方がいらっしゃったようなので、ちょっと補足します。

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宮崎駿さんは単純に「エロスの演出家だ!」と決めつかられません。たとえば『カリオストロの城』の結婚式のシーンで、クラリスが薬でもの言えぬ人形にされる場面は、タナトス的な魅力にあふれた演出です。クラリスは自分の意見をしっかり持った自立した女性であることを描くために、あえて、もの言えぬ人形にしています。ここはタナトスがあるからこそエロスがより強調された場面になりますね。

宮崎駿さんのこういうタナトス的な演出は、探せばいっぱい見つかるはずです。ラピュタに登場したラムダは小動物を愛でたり、人間を殺戮したりする二面性のあるロボットではなかったですか? ハウルは人間のこころを失ったバケモノになるのを嫌がってませんでしたか? 宮崎駿さんはただ単純に「エロスの演出家だ!」と言うべきではなくて「タナトスの表現がすこぶるうまいエロスの演出家だ!」という言い方がベターでしょうか。

同じように、りんたろうさんの『メトロポリス』で、ティマが洋服を着せてもらい、ケンイチ少年と会話する場面を思い出してみてください。そしてティマが壁いっぱいに落書きする場面も(ここはエロスがタナトスに逆転する中間の場面でぞくぞくします)。このように人間のようなこころを持ったティマをエロス的に表現したからこそ、後半でティマがもの言わぬロボットにかわるタナトス的な表現が活きてきます。宮崎駿さんとは逆に、こちらはエロスがあるからタナトスが強調された例でしょうね。

りんたろうさんのエロス的な演出も、探せばいっぱい見つかります。『X』で主人公のカムイは熱い涙を流していませんでしたか? 『幻魔大戦』のラストで、ベガは主人公たちからどんなふうに見送られて行きましたか? ほかにもぜひ探してみてください。りんたろうさんの場合は「エロスの表現がすこぶるうまいタナトスの演出家」という言い方がベターでした。やはりエロスとタナトスはどうしたって切り離せないものですから。

アニメーションのエロスとタナトスは、はっきり白黒にわかれるものではないと私は考えています。エロスとタナトスの間には無限に広がるグラデーションがあって、その間を行ったり来たり自由に飛びまわるのがアニメーションという表現です。自由に飛び回ることでアニメーションはより活き活きとする。

くり返し書いておた「タナトスがなくなったらアニメーションが死ぬ」というのはそういう意味になります。自由に飛びまわることをやめた死んだアニメは、偏見かもしれませんが、いわゆる「萌えアニメ」と呼ばれるものでしょう。

エロスの端からタナトスにかけての無限の間に、ピアノの鍵盤がずらりと並んでいる風景をイメージすると、アニメーションは、たくさんの鍵盤の間を行ったり来たりしながら、高音や低音をまぜこぜに叩きあわせ、またいくつかの鍵盤をいっぺんにおさえて和音を響かせ、最終的にすてきなメロディーを奏でる、そういう表現だと私は考えています。単純化してかんたんにことばで言い表せるようなものではない。こうやって日記に書くのもなかなかむずかしいな、とあらためて思います。

以上、前回の「アニメーションのエロスとタナトス」ではやや言葉足らずなところがあったので補足してみました。

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