葛飾北斎その2 (2/2)

(つづき)

その疑問は、荒井勉『新訳・北斎伝』で解けた。

飯島虚心は幕府の御家人で、幕府に背いた北斎を描きたくなかったために、異国趣味に関するところや、その晩年の活動を封印していたのだった。柳亭種彦との関係も、のちに英語教師になった弟子の北曜についても黙殺してあるらしい。

以下、飛び飛びで、荒井勉による『葛飾北斎伝』の読み方を引用する。

p.73
『葛飾北斎伝』には、十一代将軍の前で絵を書いた話。尾上梅幸が北斎の長屋を訪れた話。などが書かれている。それぞれに面白い。しかし、史実としては疑わしい内容なのである。

奇人説で終わりにする話は、この本の中では採用しない。北斎は、草食恐竜のように無害な人物ではないからだ。

北斎の胃袋を切り開くと、飲み込んだ動物の手足が出てくる。そんな獰猛な人物であるからだ。

p.111
さすがに現在の北斎研究者は『葛飾北斎伝』を冷静に眺めるようになっている。浦賀潜居は、北斎年表から削られつつある。

p.115
『葛飾北斎伝』は、様々な人からの伝聞で成り立っている。しかし、四方梅彦と露木孔彰は、北斎と生前に交流のあった人である。この二人の話を生きているうちに記録している点で、飯島虚心の功績は高く評価してもし過ぎることはない。

p.134
『葛飾北斎伝』を聖書とし、古い学説を訂正しないでいる間に、北斎の実像が埋もれてしまうことを、私は憂慮するのである。

新訳・北斎伝』はほかにも、『葛飾北斎伝』が残した虚像を、まるでミステリの名探偵のような見事な手さばきで丁寧に解きほぐしていく。

すっかり「聖書」という憑き物の落ちた『葛飾北斎伝』だが、ただ、わたしのような北斎好きにとっては、面白エピソード満載の本であることに変わりはない。史実半分、創作半分として考えれば、なんのことはない、杉浦日向子の傑作『百日紅』と同じように楽しむことができる。研究者にとってはこんなバイアスのかかった本は頭が痛いだろうけども。

***

この荒井勉『新訳・北斎伝』には、ほかにも「写楽=北斎」説が面白かった。東洲斎写楽はなぞの多い人物で、いったい誰だったのかは百年以上も追究が進められていて、いまだに結論は出ていない。その写楽が北斎ではないか、と言うのである。根拠は以下のとおり。

北斎は90歳で亡くなるまでずっと描きつづけて来たのだが、勝川派を破門になってからの二年間は絵を残していない。その間に写楽が登場し、わずか10か月で消えた。写楽は勝川派の画法だが、北斎はもと勝川派である。写楽ではないかと有力視されている富国、歌麿、京伝、斎藤十郎兵衛、北斎のなかで、

1.写楽を名乗った時期に本人は活動しなかった人(10か月の間に約140点も描けた人)
2.写楽を名乗り、自分の名を隠す動機がある人(高名なら隠すメリットがない)
3.歌舞伎役者から見て、写楽の条件を満たしている人(写楽の絵は芝居に詳しくないと描けない)
4.写楽を証明できる役者絵を、以前に描いたことのある人(写楽の絵は専門家でないと描けない)

この四つをクリアできるのは北斎だけである。また、北斎は黄表紙のペンネームで社楽斎と名乗っており(しゃらくさいのシャレですね)、「社楽」→「写楽」と転用したのではないかと考えられる。東洲斎の「斎」は勝川派の高弟の苗字としてよく使われていたもの。当時北斎は本所、隅田川の東岸に住んでいて、東洲斎は「東の岸に住んでいる者」という意味である。

「写楽=北斎」説は、漫画家の横山隆一、哲学者の由良哲次、中村公隆、など多くの人が支持している。が、その論文は雑誌や同人誌で発表されているので、なかなか手に入りづらい。いま簡単に購入できるなかでは、田中英道『実証 写楽は北斎である―西洋美術史の手法が解き明かした真実』が面白そうなので、さっそく注文した。NHKでこんな内容の番組を放送したらしいけど、再放送を待つしかないのかも。

今後は上記の本と、高橋克彦『北斎の罪』と『北斎殺人事件』、小島政二郎『小説 葛飾北斎』が手に入りそうなので読みたい。

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