世阿弥『風姿花伝』(4/6)

風姿花伝』の「花」ということばから生まれる象徴性を駆使して芸道を語る手さばきは、掛詞や縁語を使って独特な世界をかたちづくる能楽師の才能がよく表れていると思う。詩的である上に、実にプラクティカルな能楽のハウトゥでもある。

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物学(ものまね)で「物狂」をまねるときの注意点は、なんの憑き物が憑いているかを考えることがポイントだという。思い悩んで狂乱した場合は、どういう思いがあったのかを考えるそうだ。

ところが、能のいわゆる台本をつくる書き手に理解がないばっかりに、困ったことにもなるという。

物狂ひは、憑物の本意を狂ふといへども、女物狂ひなどに、あるいは修羅・闘諍・鬼神などの憑く事、これ、何よりも悪きことなり。憑物の本意をせんとて、女姿にて怒りぬれば、見所似合はず。女かかりを本意にすれば、憑物の道理なし。また、男物狂ひに女などの寄らん事も、同じ了簡なるべし。所詮、これ體なる能をばせぬが祕事なり。

物学(ものまね)の「女」をまねるときの注意点には、扇や花の枝を持つときは弱々しく、かたく握らないこと、からだはやわらかく、身のこなしはしなやかに、と書いてある。しかし、女に修羅などの力強いものが憑く能では「弱々しく、力強い」という矛盾したものまねをやるはめになってしまう。男に女が憑くのも同じ。

だから、そういう能を理解しない書き手のものは、やらない方がいい、と説くのだ。これはとても面白かった。能楽とはなにかを考えぬいた人ならではの明快かつ実用的な指南である。

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能楽のセリフは、掛詞や縁語などを駆使して、「歌語」によるイメージの連鎖をつくり出す。

名所・舊跡の題目ならば、その所によりたらんずる詩歌の、言葉の耳近からんを、能の詰め所に寄すべし。

名所旧跡はむかしから「歌枕」として、いろいろな歌が残っている。名所にちなんだ歌語のなかから、聞き慣れたことばを曲の盛り上がるところに使え、と説く。これまた能を深く理解した立場からの実用的な指南である。また、舞いの動作に合ったことばを選ぶのも大切だと説く。

ちちとある言葉の響きにも、「靡き」・「臥す」・「かへる」・「寄る」などいふ言葉は、柔らかなれば、おのづから、餘情になるやうなり。「落つる」・「崩るる」・「破るる」・「轉ぶ」など申すは、強き響きなれば、振りも強かるべし。

(略)

いかにも幽玄なる餘情・便りを求むる所に、荒き言葉を書き入れ、思ひの外にいりほがなる梵語・漢音などを載せたらんは、作者の僻事なり。定めて、言葉のままに風情をせば、人體に似合はぬ所あるべし。

加えて、セリフやストーリーにこだわらないタイプの能では、いま言ったように細かくこだわるのはむしろ能を下げる、ということ。幽玄な舞いに、あえて強いことばをあてて面白くなる能もある、ということ。あれこれ作法はあるが、舞いと、ことばと、音曲の混ざり具合で面白いものをつくることが能の本意である、ということ。

そういう総合芸術である能楽のひじょうにデリケートな部分を、実に簡潔かつ明瞭に書いてある。日本ではじめて書かれた能楽の本なのに、いきなりこんなにハイレベルなのは、すごいとしか言いようがない。

逆に言えば、あまりにハイレベルすぎて、これ以上の体系だった理論や、新しい能楽のかたちは、もうつくれなかったのかもしれない。

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