世阿弥『風姿花伝』(3/6)

わたしは大まかに世阿弥の一生を知っているので、『風姿花伝』を読みながらたびたび「あれ?」と思った。「花」の意味が「能楽師の花」と「見物人の花」のふたつに分かれているじゃないか、と。

能楽は、芸を極めた先の「芸術」なのか。それとも見物人が楽しむための「商品」なのか。世阿弥の論法で言えば、芸を極めた先の「芸術」ならば、見物人も楽しんでくれる「商品」になる。しかし、これは、よくある芸術家のおごりである。

風姿花伝』は世阿弥が40歳ほどのころで、足利義満というパトロンを得てけっこう調子がよかった時期に書かれたみたいなので、まあ、そういう事情もあったのだろう。

世阿弥は61歳のころ、将軍義持に疎外されていった時期に『花鏡』を書いた。そして晩年の70歳ごろ『却来花』を書いて、とうとう将軍義教によって弾圧され、佐渡に配流されてしまった。「十體を得たらん人は、その内の故實・工夫にては、百色にも亙るべし」とは言うものの、パトロンと餓鬼のごとき見物人には飽きられ、観世家断絶の危機に陥った。

『花鏡』では「花」ということばが少なくなり、代わりに「幽玄」が使われるようになったという。そして、流行に左右されない真の芸術の完成を目指したらしい。おそらく「見物人の花」に見切りをつけて、「能楽師の花」にスポットをあてたのだろう。わたしはその方が芸術家らしいと思う。

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