レディオヘッド「High & Dry」と禅文化

レディオヘッド「High & Dry」の歌詞は、抽象的で直訳すらしにくいが、読んでいてふと禅文化の影響を感じた。

歌詞の前半は「jump=魔境(偽りの悟り)」でうぬぼれるな、「kill yourself=悟り」を得たいという欲望が逆に悟りを遠ざけるのだ、というお定まりの禅師の説法のようだ。まるで臨済か道元か、といったところ。

ここでは方法論が3つ示される。

(1)「broke mirror=破鏡=迷妄が消えること」で、あなたはあなたではない何かに変わる。

(2)「conversation=公案」を通して「Drying up=雑念が払われ」、あなたはあなた自身と会話のできない者になる。言葉ではない、不立文字、直指人心である。

(3)そうすれば、あなたの内部すべてが「fall to pieces=ばらばらに砕け」、あなたはただそこに座り、静かな make love をしたい願うだろう。この make love はセックスではなく道元の言う「愛語」と解したい。

歌詞の後半は魔境(偽りの悟り)の世界はいかにひどいか、という説法だと思った。「got the world all sussed out=世界のすべてを突きとめる」は悟りの世界だ。しかしそれが偽りの悟りであれば、憎悪とツバを吐きかけられて、あなたは叫び声を上げるようになるだろう、と言う。せっかく手に入れた「the best thing=悟り」、すなわち常に持っていたはずのものは「gone away=消え去る」のみである。

high であってはならぬ。しかし dry であってもならぬ。その中間にいるべし。タイトルの「high and dry=見捨てる」は禅的に言うならば「放下(一切を放り投げて無我の境地に入ること)」ではないかと考えられる。

以上、けっこう強引な解釈をしてきたが、レディオヘッドに禅文化の影響はあると思う。

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