回文集と回文で見えてきたもの

ニーチェ吹く「神は死んだ」で男子は味覚フェチに
(にーちぇふくかみはしんだでだんしはみかくふぇちに)

サルトルは笑みの写真。斜視の見栄張る「撮るさ!」
(さるとるはえみのしゃしんしゃしのみえはるとるさ)

ズラ詩人、「髪」のみ漢字知らず
(ずらしじんかみのみかんじしらず)

わたし電気屋の玄人で、登録の夜勤でしたわ
(わたしでんきやのくろうとでとうろくのやきんでしたわ)

「塗り絵か?」とヘロドトスは絵問う、いにしえの都、闇の画師に言うと、絵は「ス…」と泥へ還りぬ
(ぬりえかとへろどとすはえとういにしえのみやこやみのえしにいうとえはすとどろへとかえりぬ)

余談、現世の静まるブッダ、元気な御声で「エコ!オナ禁!解脱ブルマ寿司!」の宣言だよ
(よだんげんせのしずまるぶっだげんきなおこえでえこおなきんげだつぶるまずしのせんげんだよ)

矢を憎み、主は来ませり、後、道のり狭き、映ゆし御国をや
(やをにくみしゅはきませりのちみちのりせまきはゆしみくにをや)

読み取る『エチカ』、自然に汎神与え切るとスピノザの見方、つまり、奉った神の座のピストル消えた、安心は任ぜし勝ち得る富よ
(よみとるえちかしぜんにはんしんあたえきるとすぴのざのみかたつまりまつたかみのざのぴすとるきえたあんしんはにんぜしかちえるとみよ)

ラムの瓶底砕いた武器、余った手すり捨てた妻、空き蓋抱く子、ゾンビの村
(らむのびんぞこくだいたぶきあまったてすりすてたつまあきぶたいだくこぞんびのむら)

そうよ絵も止めに合った記号化、動き絶つアニメと萌え要素
(そうよえもとめにあったきごうかうごきたつあにめともえようそ)

回文づくりを通して、回文だからこそ生まれ得る意味性があると痛感した。たとえばブッダが「ブルマ寿司」なのに、キリスト教の主は「映ゆし御国」はあまりに差がありすぎる。通常の作文ではここまでの飛躍はできない。これが回文の恐ろしさなのだ。

また、回文は「を」の処理がむずかしい。そもそも「を」のつく単語が少なく、逆から読んだときに助詞として使える確立がきわめて低く、「お」と同様に使うことは歴史的仮名遣いに限られてしまうためだ。もし助詞の「を」をうまく処理できている場合、かなりテクニカルだと言える。「を」の処理は回文の評価軸になるのではないか。

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