だいぶ前のことだが、つきあっていた彼女の兄がサーフィン中の事故で亡くなった。
歳の離れた仲の良い兄姉だったので(デート中に何度も兄の話をされて辟易した)彼女はすっかり消沈してしまい、会うのをひかえていたのだが、しばらくして彼女に電話で呼び出されたとき、驚くような不思議な話を聞いた。
兄が死んでから頻繁に兄の夢を見るようになり、その後、目覚めるとベッドが水浸しになっていることが何度かあったらしい。ベッドが水浸しになるときには必ず廊下にも点々と水の跡があって、それがまるでズブ濡れの人間が歩いたように見えると言うのだ。彼女は「兄の幽霊にちがいない」と言っていた。
とても信じられない話だったが、ひさしぶりに会った彼女の具合のいいゾンビのような顔を見て、一笑にふすこともできなかった。このとき、具体的には何も手助けできない自分にイラついたのをよく覚えている。
この連日の怪現象のせいで彼女はひどいノイローゼになり、いよいよ見ていられなくなった両親は霊媒師に頼んで入念にお祓いしてもらった。しかし怪現象は一向におさまらず、とうとう彼女は寝込んでしまった。
後日、心配で彼女の家を訪ねたとき、彼女はそこにいなかった。ちょうど家にいた母親に、すべての事情を聞かせてもらった。
そもそも彼女の両親は、この怪現象を幽霊か何かのしわざとは考えていなかった。廊下の人が歩いたような水の跡が自宅の水道水であったこと、その現象が見られるのが彼女の部屋だけであったこと、そして何より妹想いだった兄が彼女にこんなことをするはずがないということ。
死んだ兄の部屋や遺留品をかたづけた(友人にあげたりしたらしい)日を境に、彼女から妙な言動が見られ始めたことに気づいた両親は彼女自身に原因があるのではないかと思い、部屋を監視することにした。
すると、夜中に彼女が台所からいっぱいに水を入れたコップを持って行って、自分のベッドを濡らしていることが判った。廊下の水の跡は、放心状態で歩いている彼女のコップからあふれ出たものだった。朝になってから部屋に残っていたコップのことを彼女に訊くと、「のどが渇いたから水を飲んだ」と言ったらしい。
兄の遺留品がなくなってしまい、彼女は「ちがう方法で兄の存在を確かめたかった」ためにこの一連の行動をしたのではないか、と母親は話してくれた。霊媒師はお祓いのためではなく、彼女の気が紛れるなら、という思いで呼んだものらしい。彼女はいま精神病院で治療をうけている。
私は話を聞きながら、もう彼女には会えないだろうと思った。そして、彼女の兄に対する想いが、こんな皮肉な結果を招いてしまったことを思うと、涙をおさえることができなかった。
この季節になると、テレビで怪談の特集番組を見かけたり、飲み会などで怪談話をすることになる。そういうときに、ふと胸にこみ上げる感情を、いまでも私はどうすることもできないでいる。
私にとりついている幽霊は、なかなか出ていってはくれない。
テレビで『とっとこ ハム太郎』というアニメを観た。
主人公のハム太郎は「くしくし」と両手で顔をなでる仕草をよくする。おそらくこれは、ハムスター好きの間ではポピュラーな、かわいい仕草のひとつなんだろう。
動物のかわいらしさは意外と飼ってみないと判らないことが多い。私はハムスターを飼ったことがないので判らないが、ハム太郎の「くしくし」はたぶん、ハムスター好きのツボを心得たステキな演出なんである。
私は実家で犬を飼っているので、犬のかわいらしさなら少し知っている。犬はたまに閉じた口からしまい忘れた舌をちょろっと覗かせていて、それに触るとビックリして舌を引っこめる。その顔がかわいらしい。私が犬を演出する際は、せひそんなシーンを入れたい。
そういえばミドリ亀を飼っているひとに、亀が頭をぐいーんとのばしてエサをほしがる仕草がたまらなくかわいい、と聞いたことがある。
でもパンチラでさえ規制されてしまう現在、亀の頭ぐいーんは、ちょっとどうだろう。
7/26の日記に書いたイベント名がトイレに決定。命名はもちろん私である。
(*1) この決定までには、幾日にもわたる血と惨劇のいきさつがあるのだが、ここでは割愛させていただく。実際に9/2のイベントに来て、あなたの目で確認していただきたい。
(*2) くれぐれも言っておくが、もしイベントが失敗に終わったとしても私のせいではない。私はひとつの案を提供したにすぎないのだ。その案に決定を下した者に、すべての責任を持ってもらうのが、当然のことである。
どういうことか、そのイベントのフライヤーも私が描くことになった。まったくどこまで滅茶苦茶にしたいのだろうか。真意を疑われても仕方ないところである。
(*1)リピート
(*2)リピート
おーねーがーいーしーまーすー。
原チャリを買ったので、近くの海まで行ってみる。
水着も何もないのでボケッと海岸を眺めていたら、珍しい大きめの亀いた。産卵してるのかと思ったが、どうやらバタバタしてるだけのようだ。ずっと前に動物園で見たゾウ亀に似ている。
数人の子供らが来て、蹴ったり砂をかけたり亀をいじめだした。私は礼儀を知らない子供が、作画の悪いアニメの次に嫌いなので、でかい声を出して追い払った。
すると亀は「ありがとうございます。お礼にあなたを竜宮城に招待します」と言う。今日は深酒もドラッグもやってないはずだ。幻覚にしてはあまり亀の目が真剣なので(涙も流している)、ちょっと断りづらくて、結局言われるままに海にもぐった。
亀の甲羅はゴツゴツして座るのに適していない。水中で呼吸もできるので、いよいよ幻覚も本格的だ。こうなると竜宮城にも期待がふくらむ。お膳立てしてくれたあの子供らにも感謝しなくちゃならない。
竜宮城はきれいだった。乙姫さまは甲田益也子っぽいのを期待したが、残念なことに魚だった。となりの魚は「乙姫さまは竜宮城でいちばん美しいです」と言う。そ、そうなのか。人間の私にはちょっと判らない。
タイやヒラメの舞い踊りと話に聞くが、実際にはもっとたくさんの種類の魚が華麗なダンスを見せてくれる。日ごろ調理済みの魚しか知らないので、どんな魚が踊っていたか詳しく書けないのが悔しいところである。ダンスのステキさも、筆舌に尽くしがたい。
見た目グロテスクな料理は食べてみると美味しいし、水中で飲むというオツな酒もイケる。まさに至れり尽くせりである。何匹かのメス魚が私に色目を使ってきたが、まばたきしない魚眼はやっぱり気持ち悪いので、せっかくだけど丁重にお断りした。どうして人間じゃなくて魚にモテるんだ! くそ~!
盛大な宴も終わって帰途につく。亀の甲羅の上で尻に痛みを感じていたら、急にさみしくなった。友達との飲み会の後、すぐ家に帰りたくない気持ち。このまま家に入ると、楽しい今日が終わってしまう。つらい明日の前に、もう少し今日を満喫したい。だからちょっと遠回りして、家に帰るときの気持ち。
亀はそんな気持ちを無視するように、迷いなくまっすぐ、はじめの海岸へ戻してくれた。かなり時間が経ったはずだが、まだ空は明るい。原チャリは長いこと潮風にあてたせいか錆びてボロボロになってしまった。
最後に亀は、おみやげとして玉手箱をくれた。開けたらジジイになるんだろ? と訊くと、だったら開けるのはおやめなさい、と答えた。そう言われると開けたくなるのが、安達ヶ原からの人間の業である。
ゆっくり玉手箱の蓋を取ると、中にはきれいな珊瑚のブローチが入っていた。
私は砂浜に泣き崩れた。どうせなら老人にしてほしかったんだ。こんな愚かで退屈な人生を、少しでも短くしてほしかったんだ。魚のように自由な生きかたを知った私にとって、人間として生きる時間は、苦行以外の何ものでもなかった。
波の音が、遠く、遠く、聞こえる。
私はあまりにも悲惨な浦島太郎だった。
友人が、9/2からの毎月第一土曜日に町田でクラブイベントをやるというので、そのイベント名を決めるべく電話でおしゃべり。まず候補として挙がっていたのは、
オプティ・トーン
トーンという言葉を使いたかったのと、ちょうどその友人が光学(optic)を専攻してるからで、optimistic(楽天的)にも掛けてあるらしい。でも気取ってるふうな名前がありきたりだし、オプティなんて存在しない英語を使うのもちょっとどうか。まるで車かバンドの名前みたいである。
やはり我々ポンニチは、ポンニチらしく日本語を使うのが潔い。そこで出した案がこれ。
少年化学
テクノといえばデジタル技術(科学だけど)。そこで踊る少年少女。そんなイメージである。この案は友人もまずまずの反応だった。しかし少々インパクトに欠ける名前なので、続く案はインパクトを重視してみた。
トイレ
もし有名なイベントになったら、ぜひ知人に「トイレに行こう」と誘っていただきたい。それで要らぬ誤解をうけたとしたら、名づけ親の私も本望である。
最後に、日英語チャンポンの名前を候補に入れておこう、ということになった。しかし、これがなかなか難しい。日本語と英語がうまくかみ合わないんである。ない知恵をふりしぼって出した案が、これである。
flower大回転
私は最後のやつがいちばん良いと思う。ちなみに私は、名づけることで、その将来を台無しにすることにかけては自信がある。
モノマネが得意だ。
もともとモノマネをするほうではない。照れ性なので、人前で誰かになりきるのが苦手なのだ。しかしモノマネは、いかに「なりきるか」が勝負の別れどころ。
だから私を知っているひとは、私がモノマネ下手だと思っている方が多い。しかし違うのだ。本当は上手いのだ。これだけは、声を大にして言いたいんである。
まず得意なのは、ダイクマのCMの「ダイナミック、ダイクマ~」という歌。これはかなりの自信がある。たぶん歌ってる本人より上手い。ただ、このマネを見たい方は、私が歌っているときに真横に来て、私と同じ位置に耳を持ってきてもらいたい。
人間の耳は口より後ろにあって、発声するひとと聞くひとは、厳密には違う音を聞いている。何事も完璧を目指したいので、私の真横に来てもらわない限りは歌わないことにしている。だから、私のダイクマのモノマネっぷりを知るひとは少ない。惜しい限りである。
Robert Lester Folsomのマネも得意だ。「A NEW WAY」などは自分でも鳥肌モノの出来映えである。しかしこちらの方は、よほどの音楽好きでないと、聴いたことのあるひとがいない。カラオケで誰も知らない曲を歌うより寒い結果が目に見えている。
ちょっと前に野茂投手が「Goodです」と言う缶コーヒーのCMがあった。これも得意なんだが、覚えているひとが少ないのと、野茂投手の声が特徴をつかみにくいせいもあって、なかなか賞賛されることはない。
以上のような理由で今も不当な評価を受けている。なんとか挽回したいが、いちばんの困難は他にある。私に隠れてこっそり聴いて欲しいのだ。そうしないと本来の実力は発揮できない。
いかんともしがたい、である。
ツノの生える夢を見た。
バッファローマンのように立派なツノで、帽子くらいじゃ隠せない。とても外出できないので、冷蔵庫にある残りもので自炊して、絵を描いたりして過ごす。
気づくとツノは小さくなっていた。ヤギくらいか。
それでも安心できないので、また残り物で自炊する。ビデオを観たりして過ごす。するとツノは完全になくなった。
どうやらツノがあっても生活に影響はないらしいと判る。夢の中では喜んだが、起きてからガッカリした。もう少しハプニングしろって。
ハリケーン・ミキサーくらいはやりたかった。
早朝、クラブ帰りの小田急線で、私は睡魔と戦っていた。
同行した友人はすでに降りてしまって、話し相手もいない。こういうときのために、いつもは推理小説を携帯しているのだが、この日持っていたのは哲学書だった。日ごろ寝酒の代わりに哲学書を愛用する私としては、まことに運が悪いとしか言いようがない。下手すると終点まで寝過ごす恐れもある。
そうしてウトウトしていたら、私の隣席に小太りの英国人が腰を下ろした。不運はかさなるものである。その英国人、すごく臭いのだ。もう哲学的な臭さである。汗臭さではクラブ帰りの私も決して引けを取らないのだが、どうも汗とは違う独特な酸味を発している。しいて言えばブリテン臭かったのである。
ちょうど車内のエアコンが私から英国人へと流れる風で、最悪の事態はまぬがれたようだった。しかし、ときおり風向きが変わる瞬間だけ、ツンとした刺激臭が時間差でやってくる。
何度も席を移ろうと思ったが、睡魔が邪魔してなかなかできない。そしてまたウトウト気が遠くなると、ツンとした刺激臭で「はっ」と目が覚める。
ウトウトして、ツンときて、はっ。
この「ウト・ツン・はっ」の規則正しい絶妙な三拍子を奏でているうち、ふと気づけば最寄りの駅に着いていた。私は寝過ごさなかった安堵とともに、英国人の臭いに感謝の念を惜しまなかった(あくまで念である)。
いま思えば、このとき、グレート・ブリテンの「グレート」な部分を、わずかながら見た気がする。
電車に乗っていたら、となりにすごいアフロのひとが座ってきた。
ずっと横目ちらちら見ながら、ひとであって鳥の巣でもあるということはなんてステキなことなんだろうとか思っていたら、一本だけアフロからはみ出した長い毛がある。
ひょっとしたら、その毛をピーッと引っ張ったらアフロがなくなってしまうんじゃないか。その恐怖。しかし引っ張ってみたいという狂おしいほどの欲望。ああ、僕はどうしたらいいんだ……
と、そこで目が覚めた。
どうせ夢なら思いっきり引っ張っておけばよかった。
となりの部屋の住人が、夜中なのにもかかわらず、どしんどしんと音を立てて歩く。ワタシは寝ずに起きているからいいが、やはりうるさいことに変わりはない。非常にめいわくである。
今日もとなりから足音がする。どしん。どしん。足音の間隔が昨日よりも広い気がする。きっと部屋が散らかってきたのだろうと思う。
となりの部屋が散らかっている。そんな想像で、こころなし、ほっとする。
少しずつ。しかし確実に。ワタシの何かが腐りはじめている。