『ゴッド・オブ・ウォー』をクリアしました。プレイ時間は10時間ほど。わたしのような短期集中型のゲーマーだと、一瞬でクリアしてしまった、という感じです。とっても面白かった。たぶん近々発売される『ゴッド・オブ・ウォーII 終焉への序曲』は買います。
このゲームはギリシャ神話をベースにしてるんですが、中国神話をベースにしたゲームもやってみたいですね。たとえば主人公は伏羲で、ヒロインはジョカ。崑崙にのぼって巨人の盤古を倒し、世界をもとどおりに再建するお話。セーブするには蒼頡に会わなければならない、とか。
巨人解体の神話はいくつかあるらしく、上にあげた盤古もそうですが、ゲルマン神話のイミルとか、インド神話のプルシャも似てます。たぶん『もののけ姫』のダイダラボッチ解体は、ここらへんが元ネタなんでしょうね。



評判のゲーム『ゴッド・オブ・ウォー』をきのうからはじめました。ノーマルモードにしたんですが意外にさくさく進み、もう最後の面「Temple of the Oracle Revisited」に到着。暇人おそるべし、であります。
ど派手な血みどろアクションがてんこもりで実に爽快です。たとえば巨大なミノタウロスを倒すと地面に血だまりができるんですが、そこを走るとばっしゃんばっしゃん血がはねるんですよね。おお、これこれ、と。ただ、海外版だと町をゆく一般人たちも怪物と同じように殺せたらしいですが、日本版ではできないようです。
地味なところで、ロードとフィールドの読みこみが早かったり(これほんとに早い)、ムービーの入る間を計算していたり、ストレスが少ないのはうれしい。操作しやすく、なめらかなカメラ・ワークはところどころかっこよさ優先で、たとえば、らせん階段を真俯瞰で捉えたり、長いつり橋でうんとロングに振ったりしてます。
トータルな印象は、大胆かつ繊細という感じ。評判になるだけありますね。これにくらべたら日本産の『ワンダと巨像』とか『ゼルダの伝説 トワイライトプリンセス』はずいぶん繊細なゲームだったんだと思いました。もちろん、どちらも好きです。
主人公のクレイトスの声は玄田哲章さんで、言うまでもなくばっちりです。仕方ないことなんですが、ムービー以外のゲームのなかの「でやっ!」とか「おうっ!」は誰だかわからないアメリカンな声なんですよね。とくに高いところから落下した「あ゛ー!」がアメリカンすぎで、もう「AHHHHH!!!」なんですよ。あの特徴的な玄田哲章さんの「あ゛ー!」を知っているだけに残念でした。




『聖書』『論語』『荘子』『スッタニパータ』の四冊は読み手を楽しませてくれる本ではありません。そもそも売ってお金にする目的で書かれてませんから、そういうタイプの本じゃないんですよね。
この四冊は読み手が積極的に楽しみに行くものです。もちろん、あらゆる読書は読み手の楽しむ力を必要とするんですが、この四冊はあなたの工夫をかなり必要とします。
ある意味で、この四冊を読むことは創作的な行為と言えるでしょう。もちろん、あらゆる読書は創作的な行為なんですが、この四冊はあなたの想像力・妄想力をかなり必要とします。
文化も習慣も言語も思想も国籍もちがう、2000年以上も前に書かれたものを読むわけですから、なにかよりどころがほしくなりますよね。それは大きくふたつあります。ひとつは「同じ人間が書いた」こと。食べて寝て考えて遊ぶ、という基本的な生活は変わりません。もうひとつは「研究書がある」こと。すでに専門家がすばらしい研究を残してくれているので、これを利用しない手はない。
この四冊の内容はそれぞれちがうのですが、じっさいは共通するテーマがあります。ずばり「よりよく生きる」です。よりよく生きるために、考え、悩み、苦しみ、その結果としてこれらの本があるわけです。
さあこれでお膳立てはすみました。あとは読むだけ。自分なりの楽しむ工夫をして、想像力たくましく、妄想力フルスロットルで活字に目を通す。断片的な内容を体系づけて、ばらばらな時系列をちゃんと構成してみたりする。
しかし、読んでいるうちに、ふと気がつく。あなたは本を読みながら、おのれの姿を見ている。本がまるで鏡のようにあなたを映しているでしょう。たとえば自分の考えていたことが書かれている。自分のセンスに合うようなことが書かれている。自分の興味にフィットすることが書かれている。
なんで? と不思議な気分になりますが、どうしてそうなるかは、ちょっと前に書きました。木のなかに仁王はないはずなのに、彫ってみるとしっかり仁王が出てきてしまう。この四冊はそういう本なのです。
そして同時に、自分の限界にも気がつくはずです。あなたは、あなたの読み方しかできない。あなたは、あなたの仁王しか掘り出せない。とりあえずは、それで良い、仕方ないとあきらめて読み進めましょう。
ここまでくれば、もう、あなたは真のエンターテインメントがわかってしまい、すっかりそのとりこになっていることでしょう。Enjoy!
(催眠術っぽく書いてみました。)





すごいなあ、老化ってやつは。たとえば自販機でコーラのお徳用を買っても半分も飲めない。皮膚がへこんだりした跡がなかなかもどらない。徹夜がきつい。太りやすくなった。精神的・肉体的な能力があれこれ下がった。
24歳くらいからだんだん衰えはじめて、それがこの27歳のからだにはっきり現れているし、自覚できるようになってきましたよ。まだ20代で若いつもりなだけに、老化を感じると精神的にこたえますね。それだけ敏感になってるので、もしかしたら、いまがいちばん老化を感じる年齢ではないかと思います。
40歳くらいになっても老化に慣れるのはむずかしいんでしょうね。受け入れるやり方を少しずつおぼえていくのが精神衛生上、いいのかもしれません。すごいなあ、老化ってやつは。
消費しやすく、わかりやすく、心地よく、都合のいい情報はうそだろうがなんだろうが広まる。受け手の多くがそういう情報を求めるからでもあるし、送り手の多くがそういう情報を発信したがるからでもある。科学的な「事実」や、人の数だけ存在する歴史的な「事実」をきちんと調べるのはたいへんだけど、断片的な情報からおもしろおかしい「伝説」をつくるのは技術さえあればむずかしいことではない。
いまにはじまったことじゃないですが、最近はこんなことをぼんやり考えております。なんとなく、ジョン・フォード監督の傑作映画『リバティ・バランスを射った男』のセリフを思い出します。二種類に翻訳してみます。
This is the west. When the legend becomes fact, print the legend.
(通釈)ここは西部です。検証のすえに伝説のうそが消えて、事実がわかったとしても、新聞の記事になるのは伝説の方です。
(台詞調)事実より伝説の方が面白いなら伝説を残す。それが西部のやり方です。
この「西部」のところはいろいろ替えられますね。たとえば「オタク業界」とか「トリビア」とか「ブログ」とか。いや、思えば、孔子が理想とした周公の政治は、実は孔子がつくったもの、つまりはでっちあげだったわけです。孟子の語る堯舜も、墨子の語る禹王も、道家の語る黄帝も、パウロの語るイエスも、みんな事実ではなく伝説だった。もしこの「西部」をちがうことばに替えるなら「人の世」がぴったりなのかもしれません。
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ティラノサウルス時速30キロ、追われたら人間逃げ切れず : 読売新聞。映画『ジュラシック・パーク』だと車で逃げられるくらいの速さだったので、だいたい合ってたことになりますね。速さは原付と同じ、がんばってこいだ自転車と同じか。若くて小柄なティラノだったらもっと速く走れそう。
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ラジオで『ムーミン』とトーベ・ヤンソン特集があって、ゲストに翻訳で知られる冨原眞弓さんが来てました。あれこれ楽しいお話をしていたんですが、最後に語ったムーミンの魅力がすばらしかったですね。ユング派っぽいたとえで言えば、イデオロギー(おれとあいつはちがう)よりコスモロジー(みんなちがうけどうまくやっていく)みたいな。だいたいこんな内容:
ムーミンには変な生きもの、おかしな人がたくさんいるのが良い。みんな変わり者だけど大きな問題が起きない世界は楽しく、またスリリングでもある。これにくらべたら正義が悪を倒すようなものは、ずいぶんのんびりしていると思う。
スナフキンには実在のモデルがいたそうです。その彼も帽子とぼろぼろの服を着た自由人だったらしい。ある日、トーベ・ヤンソンさんがあまりに汚いので帽子を洗ってあげた。すると彼は、二度とその帽子をかぶらなかった。なんだかよくわからないけど、わからないだけに楽しいエピソードです。
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読むぶんには短く感じる小説でも、朗読になると大ちがい。わずかな活字数で容量的が増え、再生時間がのびてしまいます。短い小説ではききみみ名作文庫の菊池寛『恩讐の彼方に』が2ファイル合わせて37MBでした。夏目漱石『夢十夜』は10ファイル合わせて32MB。いっぽう長い小説ではSTORYTELLER BOOKの夏目漱石『こころ』が、まだ最後までアップされてないのに83ファイル合わせて530MB。最後までアップされたらトータル700MBくらいになります。
長いものよりも短いものを選ぶ傾向は、朗読になるとますます拍車がかかります。その点で、短いものをたくさん書いた宮沢賢治、新美南吉、芥川龍之介は、読書と朗読のふたつに都合がいいという理由で、これからも忘れられない作家になるでしょうね。電子化で小説の「短さ」がクローズアップされたいい例だと思います。たとえスポンサーがついても京極夏彦『塗仏の宴』をすべて朗読して10GB以上の音声ファイルにするなんてことは、まず考えられません。まんがいち実現しても、どこまで聴いたか忘れさせる妖怪が現れそうです。
でも、読むのはつらいけど聴くのは楽な本とか、朗読で聴いてみたい本もあるんですよね。たとえば著作権フリーのThe Denmo Bible 電網聖書を朗読したものがほしいところです。聖書は珍妙な文が多いので読みづらいけど、聴くなら楽かもしれません。もし実現するなら、わたしは家弓家正さんをプッシュします。スタニスワフ・レム『GOLEM XIV』の朗読も聴いてみたい。読んでもさっぱりわからないし、たぶん聴いてもわからないでしょうが、面白いと思います。これも「人形遣い」つながりで家弓家正さんをプッシュ。
あとベスター『ゴーレム100』の肉声にできない部分をノイズ音楽で再現した朗読が聴きたいですね。いや、これはもう朗読ではないでしょうけど。もちろん家弓家正さんをプッシュです。


同居人は写真を撮るのがへたで、隅に人の頭が入り込んでいたり、ものの大きさがわかりにくかったりします。いちばんひどいのは水平線から傾いてることなんですが、同居人いわく「インドは少し傾いていた」とのこと。この写真はあれこれ修正してあります。
きょうからブログ化、WordPressになりました。コメントなどお気軽にどうぞ。誤字脱字などのtypoを報告いただけたら嬉しいです。
きょうから同居人がインド旅行に行くので、さっそく『スッタニパータ』をぱらぱらめくって朗読してあげたり、飛行機事故からはじまるドラマ『LOST』の話題をふったり、焼肉を食べに行って「こうやって食事するのもこれが……いや、なんでもない」とつぶやいてみたり、あれこれすてきなおしゃべりを楽しみました(実話)。この旅行には20万円くらいかかるので、とうぜん貧乏人のわたしは行けません。
昼すぎにエホバの証人が来て『すべての人のための書物』という小冊子をくれました。で、玄関先でちょいと聖書話になって意外に盛り上がりましたよ。「使っている聖書はどれか」という初歩的な質問には「新世界訳聖書です」という予想通りのお答えで、つづいて「新共同訳は使わないのか、またこの聖書をどう思うか」なんて危険な質問もぶつけてみました。どういうお答えがあったのかは書きませんけども。あと教会では新約の内容がメインになるのか、とか、聖書の歴史みたいなことを話しました。
わたしは『新世界訳聖書』はけっこういい感じだと思ってます。読みものとしては明らかに失格で、とても読みにくい。むしろ読むための訳出じゃなくて調べるための訳出でしょう。ただし逐語訳が徹底的なだけに限定つきですが「正確」とも言えるし、原典にどういうニュアンスのことばがあったのかを想像しながら読めるところが良いです。そういえば呉智英さんもどこかの本で、新世界訳の訳文の方が「正確」だけど教会関係者はそれでいいのか、なんて書いてましたが、まさにそんな感じ。
なんか、こう、説明しづらいのですけども、宗教についてあれこれ調べていくあいだに、キリスト教とか仏教とかを信仰している人に対する敬意のようなものが芽生えてきたんです。すげえぜ、あんた、という。たとえば「おれは天才だ」なんて言っちゃって、なおかつじっさいに活動する人への敬意に似てるかもしれません。アラーキーとか立川談志とかね。「おれは天才だ」なんて言いながら、なにかをやるのは、めちゃくちゃたいへんです。つねに天才ぶりを証明しなくちゃいけないし、少しも気を抜けないし、ボロを出したときには素早くかつ面白く言い訳しなくちゃならない。こりゃつらい。まねできない。でも、こういう人たちはやっちゃうんですよね。
現代で人格神を信じることの困難。信仰を表明して生きることの困難を考えてしまうわけです。なにしろいまのこの日本では、阪神淡路大震災や新潟県中越大震災の被害地で宗教者が宗教活動をすることが許されない(参照pdfファイル)。また、仏教系大学が仏教の看板を外さないと新入生を確保できなくなっている現状があるわけです(参照)。それでも宗教者でありつづけることは、もしかしたらヨブ記よりもつらい神の不条理に立ち向かっているのかもしれない。
さだまさしは、ざっくり単純化すると「おれの歌で世界を変えてやる」なんてことを平気で思ってる人だと思います。わたしは一方で「どんだけドリーマーだよ!」とあきれつつ、一方で「すごいぜ、あんた」とこころの底から敬意を抱いてしまう。歌を聴いて圧倒されてしまう。あたり前なんですよね。世界を変えるための歌は力強い。どこまでも力強い。それにくらべて「どんだけドリーマーだよ!」とつぶやくわたしの言葉はどこまでも無意味かつ軽い。ちょっと話がずれてきましたが、言いたいことはだいたい同じです。
こんなことを書くと、けっきょく宗教者をばかにしてるんだろ、と思われるでしょう。まあ、思われてもいいです。ただ玄関先でエホバの証人の方とわずかな時間でも楽しいおしゃべりができたことがとても嬉しかったので、日記に書いてみたかったんです。
