中華そば屋伊藤

王子駅から20分くらい歩いたところにある伊藤でラーメンを食べました。休日の昼間だというのにシャッターを下ろした店の多い、さみしい商店街にぽつんとあるお店です。伊藤はけっこうな有名店なので、お客さんはひっきりなしに来ていました。

わたしはどちらかと言えば、家系やとんこつなどのこってりしたラーメンが好みです。たとえば高円寺の創家、阿佐ヶ谷の萬福本舗、田無の宝によく通っています。でも、このところ年齢のことやメタボリック気味な体系のことを考えて、あっさりダシ系も食べていこうと決めました。そういうわけで、ダシ系の革命児こと伊藤におもむいた次第。

伊藤のラーメンをひとくち食べてみた印象は、正直に言えば「まあ、こんなもんか」でした。が、それから箸が止まらず、あれよあれよという間に完食。大盛りのスープ増しでしたが、どんぶりを持ち上げて最後の一滴まですすっていました。トッピングがネギだけなので、こってり系を食べなれているわたしには満足感が足りなかったことは確かですが、うまかったです。気づいたら食べ終わっていたという感じ。

家に帰るとちゅうも、それから風呂に入って寝るときにも、胃から吐く息をとおしてほんのり魚のかおりがするほどの濃厚なスープです。あっさり味なのに濃厚っていう表現はへんですけど、そうとしか言えません。自家製の麺は太くてストレートなやや硬いタイプ。

家が遠いのでちょくちょくは通えませんが、また食べてみたいラーメンでした。

カテゴリー: 食べもの

統計的なわたし

Amazonできょうの朝8時に『Duo 3.0』と『遮那―水のながれ光の如く』を購入したら、21時ごろ商品が家に届きました。あまりに早すぎる。『Duo 3.0』はいいけど『遮那―水のながれ光の如く』は2~3日以内に発送だったはずなのに。

Amazonのおすすめ商品はいい線を突いていると思いますが、その人が「どんな商品を買うか」を統計的にわり出すのはもうあたり前で、すでに「どれくらいのペースで購入するか」や、いやもっと具体的に「いつなにを買うか」なんてこともわり出されているような気になりますね。これだけ早いと。

もちろん商品が早く届くのはありがたいんですけど、なんか気持ち悪い。そのうち購入ボタンを押したとたんにインターフォンが鳴りそうです。明らかに家の前でスタンバイしている。あるいは、家に帰るとちゅうで配達人に会ってしまうかもしれない。そして、「あなたは数分後にこの商品を買います」なんて言われる。ああ気持ち悪い。でも、ありがたい。

統計的にわり出されたわたしが、このわたし以上にスマートでセンスよくなればいいのに。そうしたら統計的なわたしが、わたしのロールモデルです。もう、なにを買うか、なにを追いかけるかで迷うことはありません。だって統計的なわたしがすべてを決めてくれるのですから。いやになるくらいの自由です。

カテゴリー: 書籍, 雑記

泡のような話

ウディ・アレンの映画『タロットカード殺人事件』を見てきました。無意味ジョークの連発があいかわらずで懐かしかったです。ウディ・アレンの映画はほとんど見ていますが、映画監督というよりは、おもろうてやがて哀しき作品をつくるコメディ作家だと思ってます。

ウディ・アレンは若いころからおじいちゃんっぽいので年齢を重ねてもそれほど印象は変わらないのですが、この映画ではさすがに年を感じました。言いよどむ様子が立川談志さんにそっくり。ことばをくり出すリズムは芸として確立されているのに、リズムどおりにことばが出てこない、そのもどかしさ。

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TBSラジオで土曜日21時からの「怪ラジヲ」がやばいです。怪獣の声についてああだこうだ語るコーナーとか、替え歌コーナーとか、あんまりにもあんまりです。30分じゃ足りないので二時間枠にしてください。

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科学とか物理の話をすると同居人がろこつに嫌がるので面白いです。そういうアレルギーはわかる。量子力学の話をすると「仏舎利のあれか?」と京極夏彦ネタを言うので、「多世界解釈というものもある」とグレッグ・イーガンのネタで答えるような感じです。

ちなみに、連日『物理学とは何だろうか』の感想を書き、それぞれのアクセス数は1000以上あったのですが、本のリンクをクリックしたのは「0」人でした。みんな興味ないのか……ここは、そこらへん、おかまいなしのブログなんですけども。

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いずれブログのコメント機能は停止する方向で考えています。いまのところは荒れもせず、おもしろいですね。

細かい話題いくつか」では、まっつんさんのコメントで、山本秀世さんを山本寛さんとまちがえた番組表のことについて、あれこれ妙な方向に考えが飛び火しました。同居人は事情があってGガイドに詳しいので、こんど聞いてみます。

宮元啓一さんと仏教」では、コメントに宮元啓一さんが登場。もちろん本人かどうかはわかりませんが、不利な質問に答えないあたりは哲学者らしい(?)態度だと思いました。こういう場合はこちらがボロを出すとすぐに突ついてくる哲学者の習性を使って、わざとボロを出し、しかるべき発言を引き出し、論破する、という流れがベストかもしれません。

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アニメのえらい人とお金のことでおしゃべりすると勉強になりますねえ。制作費とかのことです。

たとえば、すでに某作品は、いままでの素材を使いまわせばつくれるんです。一本あたり八割がたBANKでなんとかなる。これはつくっている人みんながわかっています。しかし、制作費が助かるという理由で本格的に使いまわしをはじめたら、食っていけない人がたくさん出てしまう。だから使いまわしをやりたくてもできないわけです。

タロットカード殺人事件 [DVD]

カテゴリー: 雑記

『物理学とは何だろうか』を読む 2/2

朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』が読み終わりました。充実した読書体験でした。ありがとう朝永先生。

第二章は、ワット、カルノー、トムソン(ケルヴィン卿)、クラウジウスを駆けぬけて熱力学がどのようにつくられたかの歴史になります。これがおもしろい、いや、熱い。

カルノーサイクルという効率を最高にまで高めた理想機関から、第一種の永久機関はつくれないことと、火力機関で取りだせる仕事には限界があることの証明は、文系のわたしでもわかるように書いてある手さばきがお見事のひとこと。ありがたや。あれこれの功績を残したカルノーは、コレラを患ってわずか36歳で亡くなったそうです。

その死後すぐにマイエル、ヘルムホルツによって「エネルギー保存則」が確立される。この保存則にしたがうなら熱がそのまま仕事に変換されてもいいはずなのに、じっさいには仕事を取りだすには高温のほかに低温も必要になることは変じゃないか? とケルヴィン卿は悩む。そこにクラウジウスが登場、そういう奇妙な性質を「それが熱の本性なのだ」と受け入れた。

ふつうに考えても「熱は自分自身で低温から高温に移ることができない」という法則を数式で表すのはむずかしいことはわかります。そこでクラウジウスはエントロピーという不思議な概念をつかまえて、これを使ってようやく数式で表し、熱力学の第一法則と第二法則をかたちづくった。天才的な発想ですが、やはり10年もかかったそうです。

カルノーはものが熱くなる理由を「熱素」のせいだと勘ちがいしていたので、ジュールにけちょんけちょんにやられたんですが、クラウジウスが第二法則をちょいと使って、過程はともかくカルノーの結論はそのまま成り立つのだ、と汚名挽回する。やったぜカルノー! これによって第二種の永久機関もつくれないことがわかった。

熱力学の第二法則では、エントロピーが「増大する」と言われますが、どんどん増えたりするのは、そこに時間が流れているというお約束がある。過去から未来にむかって時間の矢がどんどん進んでいるらしい、とわたしなどは素朴に信じているわけですが、そもそも時間ってなに? どういうもの? と考えるとき、これが重要になる。

閉鎖系ではエントロピーは増大するが減ることはない。そこでエントロピーが増えていく方向が時間の進む方向ではないか、と仮説が立てられる。この本では、ユークリッド空間とニュートン力学をベースにしているので、ここまでです。アインシュタインは登場しません。

さて、これで熱の法則はだいたいわかりましたが、じゃあものはどうして熱くなるの? というわけで第三章の原子論に進みます。原子は目に見えないので、ここから物理学は本格的に、知恵と勇気と勘の「冒険」をはじめるのです。

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まずボイルが錬金術と化学をしっかり分けて、化学を粒子哲学のために役立てたいと願った。それから一世紀半もかかってドルトンが原子論を考える。化学の「定比例の法則」にピンとくる。水素2と酸素1でH2Oの水ができるやつです。わたしたち人間は原子のかたまりを見ているけど、それをばらばらにしていったら最後に分解できないものが残るはずだ、と。

ドルトンが考えた理論はちょいとまちがっていて、アヴォガドロの大胆な仮説と、ゲイ=リュサックの緻密な実験によって修正される。ベルツェリウスがたくさんの元素の原子量を決定する。

さらにボルツマン、マックスウェルが、マッハ、ツェルメロ、ロシュミットに反論を受けたり、『Nature』誌にて激しいが建設的な論争が行われたり(文系のわたしは人格攻撃ばっかりの論争を知ってるだけにうらやましい)、いまだに証明されてないエルゴード理論を考えたりする。

当時は「原子という目に見えず触れないものをあつかうなど空想にすぎない、これでは思弁哲学へ逆行だ」なんて反論があったそうです。原子論の証明にはおもに気体が使われたんですが、ある初期状態からはじまって気体が拡散したり、熱伝導したりする実験はやはり目に見えないわけで、力学といっしょにあやふやな確率論を使わなければならず、かなりの知的冒険だったようです。空想だという反論はもっともでしょう。

ともあれ、あやふやな確率論を使った仮説であっても証明していくしかないので、知恵と勇気と勘をもとに実験をくり返して、ようやく原子というものをみんなが認めざるをえなくなる。熱は分子の運動であることもわかり、また原子論からさまざまな法則が導かれていく。

そしていよいよ物理学は、観察する「人間」を無視することができなってくるわけです。ここらへん、この本の実に面白いところなので興味のある方はぜひ。

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この本は電磁気学や相対性理論については書いてないんですが、ざっくりと古典物理学の見取り図が完成しました。

それにしても、わたしは読むのに時間がかかりすぎだし、数式が出てきたらまったくのお手上げなのが悲しい。朝永先生は「高校物理の程度だから練習問題としてこれを証明してごらんなさい」と軽く言いますけど、何度も量子コンピューターおばあちゃんに助けをもとめましたよ。わたしは脳内プランク定数の小さい人間なのです(覚えたての科学ジョークはきれが悪い)。

お次は、電磁気学や相対性理論をはさんで量子力学にいく予定ですが……もう数式を使わないでいるのも限界でしょうねえ。ここから先は、きちんと数式を学ぶか、通俗的解説本だけで浅く理解して終わるかの二者択一になりそうです。量子力学にかかったら、人間がマクロの世界に慣れているから信じこんでいるだけで、古典物理学など幻想にすぎないですから。このちゃぶ台返しをこころから楽しむには、それなりの投資が必要。

最後に、本の解説にあった朝永先生のおもしろいお話。翻訳は、原文から訳文は生まれるが、訳文は必ずしも原文にもどらない。非可逆である。だから「翻訳によってエントロピーは増大する」! こういう専門家のおしゃべりは大好きです。

物理学とは何だろうか〈上〉 (岩波新書)

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『物理学とは何だろうか』を読む 1/2

朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』を読んでます。おもしろい!

ケプラー、ガリレオ、ニュートンはそれぞれ頭文字をとって「毛蟹(ケガニ)」と科学業界では呼ばれていますが(うそですが)、この三人の積み重ねの歴史がいいんですよ。

ケプラーは占星術のデータを使って惑星のぐるぐるまわる軌道が長円だと計算し、太陽を中心にして公転していると気づいた。でも、そもそも太陽が自転する動力がなんなのかはわからなかった。彼は太陽の自転について、こう答えています。

自転は造物主の全能な御力によって起動され、運動霊から力の補充を受けてそれがいつまでもつづくのです。

神秘主義というよりは、錬金術と占星術の時代だったんでしょうね。

ケプラーが天の法則を調べるいっぽう、年上のガリレオは地の法則を調べ、落下運動をしっかりとした観察と実験で見つけます。金属や木製のボールを坂でころがしたりして、時間とともに加速していく法則をつかんだ。でもやっぱり、落下の加速がどうして起こるのかはよくわからなかった。

今ここで自然運動の加速度の原因が何であるかについて研究することは適当でないと思います。これについては色々な学者が種々の意見を提出しており、(略)検討を加えねばならないでしょうが、これによって得るところは少ないでしょう。

と書いています。重力や引力ということばはすでに登場していますが、ガリレオの時代には、時間とともに変化する運動を数式にして証明できなかった。なぜなら微分積分がなかったからです。

そうこうするうちにケプラーが亡くなり、12年後にガリレオも死にますが、ちょうど同じ年に入れ代わるようにニュートンが生まれます。そして、ふたりの見つけた天と地の法則を統一する、ごぞんじ万有引力を見つける。惑星運動も落下運動も、すべて万有引力のあらわれにほかならない!

科学と好奇心のボールがころころと、ピタゴラス、プラトン、アリストテレス、ユークリッド、コペルニクス、プトレマイオスを行きかい、さまざまな原則や仮説をとおりぬけ、あやしげな錬金術や占星術をかすめて、ケプラーの坂をくだり、ガリレオの道をわたって、あいだに宗教裁判なんかもはさみつつ、最後はニュートンまで至った。そこには「万」「有」「引」「力」の旗がくるくる回るのがわたしには見えます。

おお、このなんというピタゴラスイッチ。

この本は、朝永振一郎さんの人柄がうかがえるような文章がまたいい感じなんですよ。

それに、たとえばガリレオの『天文対話』という著作が、彼の代弁者と、柔軟な考え方をする人と、古い考えをつらぬく人の三人がおしゃべりをする戯曲のような構成だということも書いてあります。内容や構成が、空海の『三教指帰』にそっくりでおどろきますね。こういうのもとても楽しい。

ここまでの内容が第一章。つづく第二章は熱と蒸気機関、第三章は原子論になります。

まだ読み終わってませんが、実にいい本です。

物理学とは何だろうか〈上〉 (岩波新書)

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細かい話題いくつか

Wikipedia – 山本寛の参加作品のところに「あたしンち (2007年)絵コンテ※再登板」と書いてある! おどろいてリサーチしたところ、九割がたガセネタでした。かっがり。まさかPレベルの人が知らない情報ではないでしょうし、そもそも2007年はあと一ヶ月ちょっとしかないじゃん。『あたしンち』はそれなりにストックがある安定した作品ですよ。

テレビでたまたまバレーボールの試合を見たんですが、顔のアップが多すぎて笑えました。スポーツに興味のない人を取りこんで視聴率をかせぐにはアイドル化するのがいちばんってことですかね。マスに向けた表現は「王道」と「低俗」の二極化でますます進む、と。アニメだってそうですが。

科学の本はどちらかといえば新しいものがいいんですけど、貧乏な図書館へヴィーユーザーのわたしは古典的な名著をあさる方向でいきます。しかしまあ、教養がないもんで、広いジャンルのどこから手をつけていいか迷いますね。ロウソクの科学とか、ファインマンさんあたりかな? とりあえず朝永振一郎著『物理学とは何だろうか』と、内井惣七著『科学哲学入門』を読む予定。アインシュタインの自伝とかも面白そう。

ちょくちょく女性誌を読むんですが、30歳前後の人を「アラウンド・サーティ」略して「アラサー」と呼ぶそうです。よく海岸に打ち上げられていて現地の人は食べないけど旅行者に出すと珍しがってよろこばれる沖縄の海草、アラサー。森に生えていて甘味が少ないので現地の人は食べないけど鳥はよくついばんでいる沖縄原産のくだもの、アラサー。

ここはアラサー・バイラ世代の平川がお送りするブログでございます。

カテゴリー: 雑記

『非線形科学』読了

蔵本由紀『非線形科学』が読み終わりました。まさか新書を読むのに6時間もかかるとは……しかも理解できないところがいっぱい。

原子や電子、中性子などミクロの不変構造をさぐってきた物理学が、とうとうマクロの複雑な現象のなかにも不変構造をさぐりはじめ、「縮約」などの方法をあみ出す。「縮約」は複雑な現象にふくまれる重要な自由度・変数だけを選び出し、単純なかたちに切りつめ、本質的な情報を失わずに記述する方法。

この「縮約」で文系のわたしが思い出したのはナラトロジーでした。対象がちがうだけでアプローチは似てます。

こういう本はきちんと線形科学を学んで、なおかつ数式を扱えるようになればもっと深く楽しめるんでしょうねえ。興味深くはあるんですが、いかんせん教養が足りないので、びっくりしたり感動したりはできませんでした。残念。

非線形科学 (集英社新書 408G)

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文系っ子、非線形科学を学ぶ

日曜も仕事ですが、おかげで読書もできるのです。

とうとつに理系ブームがやってきたので、蔵本由紀『非線形科学』を読んでます。でも、ごく基本的な科学にもまるきり無知なのでぜんぜん読み進みませんよ。とほほ。

なにしろ、熱エネルギーや摩擦をロバート A.ハインライン先生に、エントロピー増大をフィリップ・K・ディック先生に、カオスやフラクタルを寺田寅彦先生に教わったような、あっしはちゃきちゃきの文系っ子でござんす。てやんでぇ、サーカディアン・リズムが怖くて徹夜仕事のアニメーターができるかってんだ!

ハーレクインもそうですが、あえて未知の世界で遊んでみるのもなかなかオツであります。

非線形科学 (集英社新書 408G)

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ハーレクインとフェミニズム

ノーラ師匠はかしこくたくましい女性を描くとばつぐんにうまいのですが、著作をざっと見渡すと、その職業がカジノのディーラーや女優、モデル、医師というあたりに時代を感じます。女性が活躍できる職種がまだまだ少なかったんでしょうね。

わたしは古いハーレクインしか読んでないのですが、現代的なものだとちょっと変わっているのかもしれません。女性の社会進出は果たせたものの、いまだに残る男性社会の習慣に「女の子は決してアンパンマンになれない」と苦悩するような物語がいまならジャストかな、と思いました。

主人公の女性は、郷に入ればの精神で男性社会の習慣に男性的に立ち向かい、ふと忘れがちな女性性に悩んだり、そこにすてきなヒーローが現れたり、仕事のトラブルを解決したり……なんてあれこれ物語を妄想をしていたのですが、これはハーレクインじゃなくて『働きマン』か。なるほど。

関係ないですが、自分のファッションセンスのなさをとっくにあきらめているような30歳前後の男性、つまりわたしのような人間が、きわめてまじめな顔で「おれみたいなバイラ世代は……」なんて言うと、かなり高い確率で女性の半笑いを勝ち取れますぞ。おためしあれ。自己責任で。

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『真珠の海の火酒』を読む

ノーラ・ロバーツ著『真珠の海の火酒』を読みました。すごいなあ。これからはノーラ師匠と呼ぶことにします。

この小説は「お約束」の連打につぐ連打です。お約束は洗練されたパターンでもありますから、わたしのセンスに合わなくてもそこそこ楽しめてしまうんですよね。お約束とお約束のジョイントに人種問題をとりあげてさらっと作家性を見せたりするのもいい感じ。職人芸だと思います。

ラブ・ロマンスを描くという目的がはっきりしているので、後半のホテルの爆弾さわぎや人質さわぎの描写がしょぼくても気になりません。もちろんラブ・ロマンスの描写は思わず「きゃー」と言いたくなるほどこってりしています。

ヒーロー、ジャスティンのセリフがいいんですよ。たとえばヒロイン、セレナのくちびるを強引にうばって、こんなことを言う。

「目を開けてごらん、セレナ。(略)そうやってずっと僕を見ていてくれないか? 僕がキスを終えるまで」

また、ヒロインをベッドに押し倒してから、こんなことを言う。

「どうも、僕たちは行くところまで行く必要がありそうだな」

行くところまで行く! これはget somewhereの訳しそこないか? 困ったことに、わたしはこういうセリフが頭のなかで、なだぎ武さん演じるディラン・マッケイの口調に変換されてしまうんですよね。だから「きゃー&ぎゃはは」であります。

ヒーロー、ジャスティンは混血の孤児という境遇に負けず、カジノホテルを五つも経営するほど成り上がります。しかし若いころにバーで事件を起こしていました。酔っぱらった客に「ここはインディアンの来る場所じゃない」といちゃもんをつけられ、わき腹をナイフで刺される。そして大立ち回りのすえにその客を殺してしまう。

「でも……」セレナが震える声でいった。「それは正当防衛だと思うわ」
 ジャスティンは何もいわずに黙りこくっていた。自分を信頼してくれる人間に、初めて出会った気がした。病院で寝ていたとき、殺人容疑で逮捕されたとき、収監されて裁判を待っているとき、彼はセレナのように率直に意見をいってくれる人間を心から求めていた。しかし、そんな人はひとりもいなかったし、絶望感に打ちひしがれた恐ろしくつらい日々が、いつまでも続いただけだった……。
 セレナのことばを聞いて、ジャスティンは心の中で冷たく凍りついていたものが急速に解け始めたような気がした。

けっきょく正当防衛が立証されて無罪になったんですが、ジャスティンはからだとこころに傷を負い、愛情や信頼に飢えていたわけです。それをヒロインが包みこむ。この『美女と野獣』のようなお約束、王道パターンの使い方はすばらしい。

ノーラ師匠の本はさくっと読めるので、あと何冊か読むつもりです。いまはアドルフ・ヒトラー著『わが闘争』など数冊を読んでいます。

カテゴリー: 書籍, 雑記