ぼくらは少年演出家

バート・D. アーマン『捏造された聖書』を読む(1/2)

バート・D. アーマン『捏造された聖書』を読みました。聖書のオリジナル・テキストを復元しようとこころみる本文批判についての本です。著者はキリスト教徒ですが学問の立場から書かれていて、内容はごくまっとうでユーモラス。たいへんおもしろかった。松田和也さんによる翻訳もすばらしい。

内容は、著者の自伝からはじまり、ユダヤ・キリスト教のなりたち、聖書のできるまで、改竄のあれこれ、改竄を見抜く方法論を確立する道のりと現代の方法、研究によってくつがえされた内容と解釈、などなど。かなり盛りだくさんです。著者いちおし、ウェストコットとホートの『ギリシャ語原語による新約聖書』はわたしに理解できる内容なら読んでみたい思います。

聖書の改竄はもうあたり前というか、みんな知ってるけど無視しようねって感じでしょう。でも、じっさいどんな改竄が行われて、本文批判はそれをどう見抜くのか? これはわたしもこの本ではじめて知りました。

たとえば『ヨハネによる福音書』7:53~8:12の姦淫を犯した女とイエスの話は有名ですし、わたしも好きなエピソードのひとつです。この部分がオリジナル・テキストに入ってなかったことを証明していくくだりは、ひじょうにスリリングで楽しかった。本文批判が「探偵業」と呼ばれるだけありますね。

関係ないですが、わたしは『マタイによる福音書』21:18のエピソードも好きです。空腹のイエスは、葉っぱしかつけてないイチジクの木にキレて「おまえは二度と実をつけるな!」と言い、イチジクの木はすぐに枯れてしまった。どんだけわがままなクソ野郎なんだ、イエスは。

それはともかく、キリスト教といえば三位一体です。こじつけとしか言いようがなく、何世紀にもわたってもめまくった歴史がおもしろいところです。とうぜんイエスを「神の子」に仕立て上げるために、たくさんの改竄があった。

ギリシャ語の「ΘΣ」と「OΣ」は、テンがあるかないかで、イエスが「神の子」なのか「人の子」なのか意味が分かれます。J・J・ヴェットシュタインは、テンだけ周囲とちがうインクが使われていたことや、テンが古い羊皮紙の裏のインクが染み出したものだと発見。イエスを「神の子」にするための意図的・偶発的な改竄が行われていたのでした。

また、イエスの発言のまちがいもことごとく修正された。異教徒からの批判に対抗できるように、イエスは「大工」ではなく「大工の子」に訂正された。処女マリアから生まれたという設定を統一するために、ヨセフのことを父と呼んだ場所は書き直された。

なんだか「神の子」にかけられた期待の大きさがうかがえますね。死せるキリスト、生ける教徒を走らす。

本文批判は、江戸時代に大乗非仏説と言い放った富永仲基のやったことによく似てます。富永仲基や近代仏教学が仏教徒に無視されているのと同じように、本文批判もキリスト教徒に無視されているんでしょうかね。いまさら仕方がないじゃん、なんてふうに。「不条理ゆえにわれ信ず」でも、研究によって不条理が条理になったら困るし、不条理がもっと不条理になっても困ってしまう。ここらへん宗教のむずかしいところなんでしょう。

聖書には学派争いの歴史が刻まれているようですが、その点で、儒家八流が争った歴史が刻まれている『論語』と似てます。『論語』の本文批判は、武内義雄、津田左右吉、和辻哲郎、金谷治、木村英一、白川静らの研究によって「三年の喪」や「宰予の昼寝」や季氏篇は後世の加筆だと判断されました。ただし『論語』は残っているのが「魯論」校定本だけなので、写本を比較できないもどかしさがありますね。ちょっとだけ聖書がうらやましい。

4世紀当時は、どこの誰が書いたのかわからない福音書、言行録、黙示録、書簡がうじゃうじゃあったそうです。それをアレキサンドリアの司教であるアタナシウスが「新約聖書は二十七編のみ」と決めた。西晋の郭象が十万語五十二篇あった『荘子』を整理して六万五千語三十二篇にまとめたのといっしょですね。あるいは天台智覬が膨大な仏典のヒエラルキーを決めた教判といっしょ。いまもむかしも、西も東も、十人十色のようです。

『ヴァティカン写本』のなかの見慣れない「顕わす(PHANERON)」という単語を一般的な「支える(PHERON)」に書き換えた書記が、数世紀後の書記に毒づかれるのは、さすがに笑いました。欄外に「阿呆かお前は! 元のままにしておけ、勝手に変えるな!」と書いてあるんですよ。著者はこれをコピーして額に入れて壁に飾っているそうです。

捏造された聖書

加藤幹郎『映画館と観客の文化史』を読む

加藤幹郎『映画館と観客の文化史』を読みました。日本語で書かれたはじめての映画館(観客)論というだけあって、知らないことがばんばん出てきてたいへんおもしろかったです。映画に興味のある人は必読! 

「大きなスクリーン」に「拡大して写された映像」を「たくさんの知らない人」と「同じひとつの場所」で「動かないイス」に座って「なるべく静かに」して見ること。いま映画体験はこういうものだと思われています。DVDで見るのは映画じゃないよ、なんてふうに。

ところが映画が生まれてから現在までの上映装置(映画館)をふり返ってみると、こういうもろもろの決まりごとは歴史的産物にすぎないとわかります。つまり映画の見方なんて時代ごとに変わるってことですね。あたり前の話なんですが、映画史の起源をリュミエール兄弟にもとめてしまうと見えてこない歴史でもある。

この本は興行・上映・観客の歴史をアメリカ篇・日本篇の二部構成で縦横無尽に語ります。パノラマ館からはじまり、キネトスコープ、ニッケルオディオン、ピクチュア・パレス、ドライブ・イン・シアター、シネマ・コンプレックス、アイマックス・シアター、そしてビデオやDVDまで。日本では連鎖劇、弁士、小唄映画、トーキーなど。

以下、おもしろかったところをぽつぽつ拾っていきます。

「蔭科白」はアニメの声優っぽくておもしろいですね。

日本で「蔭科白」と呼ばれる、サイレント映画の疑似トーキー化も映画史初期から古典期への過渡期まで世界各地でおこなわれていた。スクリーンの裏で各登場人物に扮した複数の「役者」がサイレント映画の登場人物になりかわって台詞をしゃべるのである。

スクリーンの裏なのに「登場人物に扮した」のはおかしく思えますが、ときにはスクリーンの前に出てきて役どころをこなすことがあったそうです。芝居と映像をミックスした連鎖劇もこの流れにあるんでしょう。ちなみに「蔭科白」をgoogle検索したら、たった一件しか引っかかりませんでした。

ドライブ・イン・シアターはとてもなつかしかった。わたしは小さいころ『バタリアン』などを見た記憶があります。帰りの車のなかで寝ちゃって、親にベッドまで運んでもらうのがなにより好きだった。ドライブ・イン・シアターは1933年にアメリカではじまり、1950年代なかばに黄金期をむかえ、それ以後はテレビに追いやられていきます。

なかば公共圏、なかば私的空間というドライヴ・イン・シアターで熱い「セックス・コメディ」にあてられた若いカップルが車内でことにおよぶという事態は当時からゆゆしき社会問題として取りあげられた。

きっと冴えない童貞たちは「ドライブ・イン・シアターでのぞきをしよう!」なんて考えたりしたんでしょうねえ。たとえば:

***

スティーブンとジョージは大の仲良し。いつもジーパンとジージャンを着て映画ばかり見ていた。
ふたりは未成年で免許を持ってないけど、どうしてもドライブ・イン・シアターで映画が見たい。いや、のぞきがしたかった。
そこに兄貴分のコーマン先輩がやってきて「おれは兄と顔がそっくりだから、ポリスに捕まっても兄の免許を出せばOKだぜ!」などと言う。コーマン先輩はこういうくだらないアイデアにかけては天才なのだ。
いざドライブ・イン・シアターへ!

映画そっちのけで、のぞきにふける三人。前の車のカップルはどんどん盛り上がっていく。
女がブラジャーを投げ捨てる。
「スティーブン、おまえのあそこ、もうガチガチじゃん!」
ジョージは、チンコとまちがってつかんだシフトレバーを倒してしまう。
女がパンティを投げ捨てる。
童貞三人が「ひゃっほーい!」と叫ぶと同時に、コーマン先輩がアクセルをふんずけ、車は急発進。
前のカップルの車にドカンとぶつかる。
「とほほ、こりゃダディに大目玉だぁ……」

この経験にヒントを得たコーマンは童貞映画の帝王となり、事故のトラウマを克服したスティーブンは『激突!』で喝采をあび、ジョージはコーマンなんかとつき合うからダークサイドに落ちるのだと『スター・ウォーズ』を撮って大ヒットを飛ばしたという。
落語「アメリカの夜」の一席でございます。お後がよろしいようで。

(鳴り物で『蒲田行進曲』のテーマを演奏しつつ幕引き)

***

えーっと、こんな妄想で楽しみました、という話です。なんだこりゃ。

妄想のついでと言ってはなんですが『興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史』とあわせて読むとおもしろさ倍増だと思います。

映画館と観客の文化史 (中公新書) 興行師たちの映画史 エクスプロイテーション・フィルム全史

映画『僕のピアノコンチェルト』を見る

映画『僕のピアノコンチェルト』を見ました。「おみごと!」としか言いようのない映画でした。10年に一本の傑作。公式サイトはこちら

テクニカルな演出をさらっとこなしていて、さらに、いやみじゃないんですよ。演出が「どや」顔しない。たとえば予告にも使われていたところですが、主人公のヴィトス(6歳)がホームパーティでわざと下手くそな演奏を披露して、まわりの大人たちを安心させたあと、すぐさま神技をビシバシ決めて一同を唖然とさせる場面。あるいは子と母の関係をしめすたばこの場面。またはピアノの前に座って弾くか弾かないかでさりげなくサスペンスを生み出す場面。いちいち、うまい。そして、それをことさら主張しない。

おそらく後半に入ってヴィトスが「天才を超えてしまう」あたりをどう見るかで映画の印象が変わると思います。わたしは総合点が高いからという理由でOKでした。そういえば、飛び級した学校に通う場面で年上にからかわれるあたりは、ちょっとだけジョディ・フォスター監督『リトルマン・テイト』に似てましたね。

わたしなどは本物の神童が演じて奏でる様子が見られただけで、もうお腹いっぱいでした。子供らしい華奢な指先がピアノの鍵盤に吸いこまれるように目まぐるしく動くんですよ。一瞬なにが起こったのかわからなくなるほど衝撃的でした。

6歳のヴィトスを演じたファブリツィオ・ボルサニも、12歳のヴィトスを演じたテオ・ゲオルギューも、目がくりくりと大きくてかわいらしい。なまいきな口をきくところで「きゃー」、演奏中に顔つきが変わって真剣そのものになるところで「きゃー」でございます。美少年の好きな方はぜひ。

ほかでは、ブルーノ・ガンツがひょうひょうとした老人を好演。雨漏りする家に住んでいながら、汚い倉庫に「あるもの」が見つかる場面で、わたしはげらげら笑いました。ナイスじじい。お母さん役の人(名前わからず)も実に良かった。とくに後半で大活躍するのですが、ネタバレになるので残念ながら書けません。お父さん役の人(名前わからず)は、ヴィトスが6歳から12歳へ飛ぶとき、さりげなくハゲが進行しているのがおもしろかったです。

僕のピアノコンチェルト [DVD]

関裕二『「古代史」謎解きのヒント』を読む

関裕二『「古代史」謎解きのヒント』を読みました。手持ちぶさただったので会社の本をレンタル。こういう一時間足らずでさくっと読める本は内容に関わらず好きです。

歴史は人間関係がつくる。だから勝者の記録である文字記録はあてにならず、正史は正しい歴史とは言えない。しかし、たとえば『日本書紀』の著者が隠蔽したかったことや立場的に主張しなければならなかったことを考えれば、歴史の謎がいくらかはわかるのではないか?

と、だいたいこんな内容の本です。本の後半、三分の一が用語解説や参考文献なので、古代史のガイドになってます。天皇にかんして、網野善彦『無縁・公界・楽』と今谷明『室町の王権』の宿命の対決をわかりやすく解説しているところがおもしろかったです。

著者自身の仮説・私見は、禁句である「○○にちがいない」と「○○が偶然とは思えない」の連発で、ちょっといただけません。どんな分野でも、おもしろい説をぶち上げる作家的な人と、地味な研究でわかったことだけをたんたんと書く学者的な人のふたつのタイプがいるもんですね。この著者は明らかに前者と言えるでしょう。ウサギとカメで言えばウサギ。

ただし古代史では不確かなことが多いため、ウサギ(想像力)がカメ(立証)より先を行くこともままありますから、いちがいにダメと決めつけるわけではありません。要は、楽しく読めたら勝ち、です。

伊勢神宮は、内宮では天照大神を、外宮では豊受大神を祭神としています。天照大神は『日本書紀』で大日孁貴(おおひるめのむち)として登場し、「孁」の字は巫女を意味することから卑弥呼に通じる。豊受大神は「トヨ」の字があることから卑弥呼の後継ぎだった台与に通じる。もしかしたら伊勢神宮は邪馬台国のふたりの女王を祀っているのではないか? しかし「卑弥呼=天照大神」は正史に書かれたのに「台与=豊受大神」が無視されている理由がわからない。

ここから著者は、邪馬台国の場所の特定や、高天原の天孫降臨神話なども引き合いに出して、かなり大きな古代地図を描きます。わたしは「宗像教授かよ!」とツッコミを入れつつ楽しく読みました。

「古代史」謎解きのヒント (講談社+α文庫) 現代語訳 日本書紀 (河出文庫) 無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150)) 室町の王権―足利義満の王権簒奪計画 (中公新書)

ノロウィルスにやられる

前日からお腹の調子が悪かったのですが、朝起きたら腹痛、嘔吐、下痢、微熱。それがまる一日つづきました。いまはケロッと治って元気です。でたらめな生活で免疫力が弱っていたんでしょう。みなさんはお気をつけください。

熱があるとき、からだの芯は寒いのに、布団をかぶっている表面は熱いことがあります。布団を取っちゃいたいほど熱いけど、やっぱり寒い。布団のなかに涼しい空気を入れようと暴れてみたり、布団から足だけ出してみたり。この熱いけど寒い不思議な感覚は嫌いじゃなかったりします。

アニメ『墓場鬼太郎』を見る

ノイタミナ枠のテレビアニメ『墓場鬼太郎』の第一話を見ました。予想とだいぶちがったのでひょうし抜けしましたが、なかなかおもしろかったです。東映がつちかった技術を使う新番組という位置づけでしょうか。

設定まわりがぬるくなるのは気になりません。ただ、カット割りが早すぎたり、不親切すぎるのは疑問でした。単純な左右の切り返しを避けるコンテは異質な雰囲気をつくっていて良かったと思います。作画もがんばっていましたが、とくに美術がすごかったですね。小林プロの濃い血を感じました。地蔵の頭が良い。

原作の不条理でとぼけた独特の味わいを生かしきれない「もどかしさ」を感じました。のんびり・ぼんやり・とぼけた感じにすると、たんにツメの甘い作品に見えてしまうんですよね。展開のとうとつさや、キャラクターの内面のなさ(ある意味で多様性)をどこまで生かし、どこまで捨てるか。ここらへんのバランスは水木漫画の映像化が抱える大きな問題だと思います。むずかしいですが、がんばってほしい。

仕上げ、撮影のクオリティが下がると見どころを失う危険なつくりなので、画面処理をどこまで保てるかが鍵になりそうです。短いスケジュールでもクオリティを維持できるような標準化・規格化を押しすすめ、いずればその技術を業界全体にばらまいてもらえないかと、ずうずうしくも期待してます。

墓場鬼太郎 第一集 [DVD]

渋谷ではしご飲み

渋谷でふたつの飲み会に参加しました。ひとつは某ファンクラブで面子はさまざま。もうひとつは学生時代の友人で某テレビ局関係者と某芸術家関係者。まるでちがう飲み会でしたが、アニメの話題ばっかりでした。印象に残ったことをずらずらならべてみます。

  • アニメの物語が弱い
  • 有名な原作のアニメ化は縮小傾向か?
  • シナリオライターがアニメ業界から離れている?
  • 監督・演出家・構成作家だけでシリーズはつくれる、脚本家不要説(暴論)
  • アニメ業界にも学閥がある、早稲田、慶応、大阪芸大など
  • テレビ番組の多くは内容とCMに関連がなく広告効果が低い
  • しかしアニメは内容がCMでもありDVDやCDの広告効果が高い
  • あと五年でテレビもアニメも大きく変わる
  • 『銀魂』はおもしろい
  • ***

  • アニメの物語が弱い(どこでも聞く話題)
  • 物語を楽しむならYOUTUBEやニコニコ動画で充分
  • 絵づくりを楽しむ作品はもはや行きすぎだがDVDは売れる
  • 物語と絵づくりの両方が良い作品がいちばん、でもつくれない
  • これからはプロデューサーの時代
  • スター・プロデューサーは育成できない
  • 鈴木敏夫は極悪人、いい意味での悪行の数々
  • 高城剛は極悪人、悪行の数々
  • 『芸術起業論』の正しさ、いかがわしさ、「おれはアニメが好き」宣言
  • 知らずにいられない時代の創作は果てしないパロディ、次のステップへ誰も進めない
  • 『マリオ&ルイージRPG2×2』をプレイ

    ニンテンドーDSの『マリオ&ルイージRPG2×2』をクリアしました。だいたい20時間ほど。タイムホールで現在と過去を行きかい、マリオとルイージ、そしてベビィマリオとベビィルイージの四人でゲドンゴの魔の手からキノコ王国を救え! という内容。おもしろかった。

    フィールドでもバトルでも、一瞬たりとも気が抜けないアクション性の高さは毎度のようにすばらしく、飽きさせません。マリオとルイージがおたがいの足首を持って輪のようになり、ぐるぐる回る技は『柔道一直線』の地獄車のようでした。ベビィたちをその地獄車でぺちゃんこにつぶすと、せまい隙間に入りこめたり、下から扇風機で送られる風に乗って高く飛び上がれたりします。四人が協力しないと解けないパズルのようなフィールドです。

    イベントごとの寸劇が楽しかった。ルイージはいじられキャラに磨きがかかってきましたね。でも、くり返しいじりつつも、ルイージの気弱さをみんなでサポートするイベントがあったりして、とてもよかった。四人の協力プレイで解いていくゲームだからこそ引き立つイベントだと思います。

    ふだん大人はベビィをおんぶして歩き回るんですが、一歩ふみ出すごとにベビィの帽子が上下に揺れるんですよ。なんてことのない動きですが、これが実によかった。帽子のゆるゆる感が子供という表現になっているわけです。ベビィマリオが一回転すると帽子がよけいにもう一回転する動きもかわいい。

    関係ない話ですけど、ファイナルファンタジーなどをプレイすると「あ、バカにされてる!」と感じてしまいます。たとえばCGムービーの決め台詞で「わたしはここにいるよっ」なんて言われると、そんなクソ台詞で感動すると思われてるのかオレは、どんだけなめられているんだ、と思ってしまう。

    ところが任天堂のゲームにはその種のイライラがまったくありません。飛んだり跳ねたりとやってる内容は子供っぽいのに、プレイヤーは子供あつかいされない。このちがいは、けっこう大きいと思います。

    マリオ&ルイージRPG2

    チーズケーキ番長がゆく! ドトール、EXCELSIOR CAFFE、夢庵

    ドトールでリンゴのチーズケーキを食べました。クリーム、スポンジ、りんご果肉入りのレアチーズが段になっています。ケーキとしてはおいしいですが、チーズケーキっぽくはありません。けしからんので、うむを言わせず(ふつう言いませんが)むしゃむしゃいただきました。ドトールも価格や味が「ふつう」なところがすてきだと思います。

    エクセルシオールカフェでパルミジャーノ(チーズケーキ)を食べました。名前のとおりパルミジャーノを焼いたしょっぱいチーズと、下にオレオみたいな味のスポンジが敷いてあります。どうせ格好つけたドトールだろ、と思ってたんですが、けっこうおいしくておどろきました。甘すぎない大人のチーズケーキでしょうか。量が多いのもいいですね。あんまり褒めてハードルを上げるのもなんですが、たまに食べるとちょうどいいチーズケーキだと思います。一度、おためしあれ。

    夢庵で豆乳のチーズケーキを食べました。ふわふわの甘いチーズのなかに酸味のきいたラズベリーソースが入ってます。夢庵ができた当初からあるメニューで、わたしもたくさん食べましたが、きわめてふつう(褒めてます)のおいしさです。ねじりをつけるために敷いてあるガーゼにチーズがこびりつくので、食べるのにちょっと工夫が要ります。

    あらゆる価値観が多様化されたいま、わたしたちが「味のスタンダード」を見失わないのは、ひょっとしたら今日とりあげたようなお店のおかげじゃないかと思ったりします。わたしはなにかを食べたときに「ジョナサンとくらべてどうか」を基準にしています。

    吉村作治『ピラミッド文明・ナイルの旅』を読む

    吉村作治『ピラミッド文明・ナイルの旅』を読みました。地中海に面したデルタ地帯から、ナイル川の流れをさかのぼるように、アスワンハイダムまで南下して、それぞれの土地でなにがあったか、どんな遺跡があるか、生活、思想などを明らかにしていきます。

    この本も『ピラミッドの謎』みたいにおなじみの話題が多いのですが、古代エジプトのおもしろいポイントを大きく俯瞰できるところが実に良かったです。図書館レンタルだったんですが、わざわざ買いなおして、赤ペンでぐりぐりマーキングしながら味わいました。とてもいい本だと思います。

    古代エジプトの創世神話に出てくるオリシス神とセト神の戦いは、第一王朝から第三王朝までにじっさいに起こった王位争奪をもとにして生まれた、という指摘は大いにうなづきながら読みました。日本神話と似てる……というより神話はそういうものと考えたほうがいいんでしょう。

    ナポレオンとオベリスクの話は笑いました。ナポレオンに「オベリスクがほしい」と言われたムハンマド・アリは「あんなデカイもの運べないだろう」とOKする。すると、フランスから軍隊を引きつれてきて、軍艦に乗せてオベリスクを持って帰ってしまった。目をむいて「ええー!」とおろどくムハンマド・アリの顔が想像できます。

    物語としておもしろいのは、やっぱり「ハトシェプスト女王」と「ツタンカーテン→ツタンカーメン」ですね。

    唯一の女性ファラオであるハトシェプストは内政を重視して、戦争をしないで交易を行った名君です。ふだんは男装していたらしいですが、恋人のセンムトと逢いびきするときだけは女性にもどったのかなあ、なんて妄想がふくらみます。トトメス三世は権力を奪われたことを恨んだのか、ハトシェプスト女王の彫像やレリーフを破壊したらしいですし、まわりのうわさもひどかった。ジェンダーと恋と権力の物語が動きだすピースがぎっしりつまってます。

    「ツタンカーテン→ツタンカーメン」は「多神教→一神教→多神教」という流れで捉えるとおもしろいです。アメンヘテプ三世とその息子のアクエンアテンは、アメン神を中心とする伝統的な神々よりも、アテン神への信仰を強くする。

    義母ネフェルティティはツタンカーテンを王位につけてますますアテン信仰を確かなものにしよう考える。いっぽう、それをこころよく思わないテーベ派は、逆に、ツタンカーテンを王位につけてアメン神や伝統的な神々を復興しようと考える。政治的な宗教改革に巻きこまれる、幼いツタンカーテン。

    多神教の世界で一神教を説いたアクエンアテンは、伝統的な神々の神殿や神像を破壊するなど、あまりに急激な宗教改革を行ったせいで、みんながついていけなかった。けっきょくクーデターによって死んでしまう。その後、王位についたツタンカーテンは名前をツタンカーメンにあらため、ふたたびアメン神と伝統的な神々を復興する。名前の「テン」とか「メン」はアテン神とアメン神のことですね。

    少年王ツタンカーメンと王妃アンケセナーメンは仲睦まじかったそうです。「彼女はツタンカーメンが少年の心にもどれる唯一の人だったのです」と吉村作治さんは書きます。ここにも宗教と恋と権力の物語が動きだすピースがぎっしりつまってます。

    ピラミッド文明・ナイルの旅 (NHKライブラリー) ピラミッドの謎 (岩波ジュニア新書)

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