佐伯チズ『頼るな化粧品!』を読む

佐伯チズ『頼るな化粧品!』を読みました。キャリア40年にわたる達人が「常識」をくつがえす美容理論を語るという内容です。わたしは化粧をしたことがないで、わからないところを同居人にたずねつつ読みました。

第一章で化粧品メーカーの裏事情とそれにふり回される消費者をあばいてから、つづく第二章で美容の「常識」はまちがいだらけと指摘して、それに代わる新しい美容理論を第三章で語り、最後の第四章で美は内面や暮らしに宿るとまとめる。そんな構成です。

読んでいるうちに「フランス式」と「アメリカ式」の美容のちがいが浮かび上がってきました。

フランス式は、西洋の美だけでなくアジアン・ビューティーをふくむ「美の相対化」をもとに、医学をよりどころにした長期的な効果をもとめ、自分に合った化粧を楽しむ。アメリカ式は、ロールモデルへのあこがれとイメージをもとに、マーケティングをよりどころにした短期的な効果をもとめ、ニーズに近づくための化粧を楽しむ。

大ざっぱな分け方ですが、こんな感じでしょうか。別のことばで言えば「個性化」と「均質化」あるいは「ケア」と「演出」。

著者はフランス化粧品メーカーのゲランに入社して、マダム・リゴプロに美容のいろはを学んだらしく、どちらかと言えばフランス式。日本人の肌質や美意識に合ったメイクを提案し、ケアの大切さを説いていきます。はっきりした主張を断定的に語り、美容に思想・ライフスタイルをからめることが特徴的だと思いました。「信者」になるか、ならないかの二者択一を迫るタイプかもしれません。

愛されメイクなどのキャッチコピー、化粧品の流行、お店の美容部員におどらされて、自分に合わない化粧品を使っていませんか? という問いかけは普遍的な力がありますね。高価なものが必ずしも良いものではない、高価だから効くはずという心理をついた商売だ、という指摘も同じ。こちらはオーディオの世界とそっくりです。

一貫して語られるのは「肌はデリケート」ということ。クレンジングと石鹸の「ダブル洗顔」は、肌がもともと持っている機能を削ぎ落とす。ごしごしこすったり、パッティングはNG。顔剃りは角質を奪うだけでなく肌が自己防衛で硬くなる。などなど。

おもしろかったのは「木を隠すなら森」理論ですね。シミやシワを隠そうとして、明るめの白っぽいファンデーションを使ったり、コンシーラーを使うのはむしろ逆効果。あくまでブラウン・ベース。オークル系やピンク系のアクセントを加えるていどで、シミやシワは同じ濃い色で隠すのが正解と語ります。つまり「木を隠すなら森」。単純明快で冷静な指南は『五輪書』のごとし。

洋服と同じように化粧にも「衣替え」があるという話も興味深かった。毎日まいにち、自分に似合う得意なメイクをする人が多いそうです。外にいる日、室内の蛍光灯の下にいる日、体温の上がる夏、体温の下がる冬で、明るい色と落ち着いた色を使いわけるそうです。メイクの前に、まずその日のシミュレーションを。化粧をしないわたしでも「なるほど!」とうなりました。

著者は美容と健康のためにミネラルウォーターを飲み、カルシウムを摂取するそうです。わたしも毎日2リットルの水と1リットルの牛乳を飲みます。美容をまるで気にしないつや消し人生ですけど、これが美容法なんだとわかると、ちょっとうれしい。あと、坊主頭は自分でバリカンを使って刈るので「顔剃り」もしばらくやってませんが……。「ダブル洗顔」どころかクレンジングを使ったことすらありませんが……。

最終章の「美は内面や暮らしに宿る」という結論は、安野モヨコ『美人画報』や『美輪明宏のおしゃれ大図鑑』と同じでした。いい感じの落としどころはほかに選択肢がないんでしょうね。

身なりに頓着しない恋人と田舎で近所づきあいをせず自給自足の生活をすれば一般的な美の価値観は無になる、という遁世系の落としどころはいかがでしょうか。あるいは、異性の欲望にふり回されないためにも美の価値観や文化を変えなくてはならない、民衆よ立ち上がれ、シュプレヒコール、なんてのは。ぜんぜんちがう本になっちゃいますけども。

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カテゴリー: 雑記

映画『アース』を見る

映画『アース』を見ました。北極から南極まで旅をするように大自然をながめて「地球のことを考えてみませんか」と提案する内容です。

「よくこんな映像が撮れたなあ」とか「どうやってこんな映像を撮ったんだ?」のオンパレードです。いや、撮り方そのものは想像できるんですが、手間のかかりすぎるカットの多いこと多いこと。また、それを目的意識のはっきりした的確な編集でつないでいきます。

系統でいうと『ガイア・シンフォニー』や『WATARIDORI』につらなる映画でありながら、ついでに『ザッツ・エンタテインメント』っぽいところもあります。20秒に一回は水木しげる漫画の登場人物のように「ふはっ!」となること請けあい。

森を俯瞰でとらる構図で、木々に葉がつき、花が咲いて、やがて枯れ、雪で覆われ、また葉がつき……季節はめぐっていく、というカットがありました。これが定点観測だったら撮影法はわかりやすいでしょう。カメラを固定して撮影しつづければOK。でも、この映画は定点ではなく移動、パンやドリー撮影をしています。つまり、年間とおして少しずつカメラを動かして撮影したり、何年もくり返し同じカメラワークで撮影した映像をつないでいるわけです。言うはやすし、ですが、そんな映像を見てしまうとやっぱり圧倒されますね。手間かけすぎ。眼福。

北極グマやアフリカ象など、いろいろな動物が登場します。いつものことなんですが、わたしはネコ科の肩から指先までのつるっとしたフォルムにやられました。アムールヒョウの一歩ごとに肩が盛り上がる歩きがたまりません。雪原を気配を殺しながらそろりそろりと歩くオオヤマネコにうっとり。チーターの狩りの超高速撮影では、しなやかな筋肉の流れ、躍動感にこころを奪われました。ああ、生まれ変わるならネコ科の動物になりたい。

映画館の不備なのか、デジタル撮影の弱点だったのかわかりませんが、ピントがやや甘いのが残念でした。こども料金500円はとてもすばらしいと思いますが(まんが映画もみんな500円にしてしまえ)、狩りの場面で血が描かれなかったり、獲物を食む様子が隠されているところは、すれっからしのおっさんにはちょいと物足りなかったです。

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カテゴリー: サイエンス, 映画

太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』を読む

太田直子『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』を読みました。さばさばした性格の字幕屋さんがおかしな日本語をつついたり仕事のあれこれを愚痴ったりという内容。おもしろかった。

わたしはクレジットをよく見ないせいで字幕屋のことを知らないのですが、太田直子さんは勝手に「ソクーロフの人」と憶えてました。なんとなく、お堅いイメージ。ところがこの本を読んで、リズム感のいい愉快な文体にいい意味で裏切られました。

テクニックを凝らした軽い文体なので、著者とおしゃべりするような感じですいすい読めますが、深いところまで届く内容のうえに、昭和天皇や禁止用語のタブーなどにもきわどく触れています。最初の勝手なイメージは裏切られましたが、期待は裏切られませんでした。

一秒四文字の制限でことばを切り詰める作業をやってみよう、という字幕テストがおもしろかった。たとえば、むっつり黙りこむ女に、男が問いかける場面:

男「どうしたんだ」
女「あなたが私を落ち込ませてるのよ」
男「僕が君に何かしたか」

このみっつのセリフをすべて五文字以内に切り詰めるには、どうすればいいのか? ポイントはふたつ目の15文字で、この内容をひとつ目に盛りこむことまでは想像できるものの、そこから先は悩みどころ。けっこう頭の体操になります。著者がじっさいどんな字幕にしたのかは、本書でごらんください。

字幕屋ならではのおかしな日本語つつきも楽しい。下のような発言はチャレンジブルです。まったくそのとおりだなあ、なんて思いつつも。

広報などで、かたくなに「障がい者」と表記する自治体や組織もある。「害」の字はネガティブな意味合いを持つからだと言う。だったら「障」の字もそうではないのか。

ほんらい映画は映像で伝えるものだから観客に「わからせる」ためのナレーションを多用するな(字幕屋の仕事が増えるじゃないか!)という指摘は、珍しい方向からの援護射撃みたいに感じましたね。つくる側もわかっちゃいるけど商売のことを考えると仕方ないなーなんて、字幕屋と同じようにうんざりしていると思います。

「泣ける」映画が流行っているせいで配給会社の人に無理やり「泣ける」創作字幕を書かされるあたりも笑いながら読みました。こういう作品名をすぐに特定できそうな愚痴は読んでいて心配になりますが、愚痴ってもOKなキャラと実力が認められているんだろうと勝手に思いました。本業の字幕はもちろん、太田直子さんのもっと単著が読みたいです。

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カテゴリー: 書籍

デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』を読む

デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』を読みました。タイトルどおり兵士の心理についての内容です。あちこちで絶賛される本だけあって、すこぶるおもしろかった。

2%の殺人嗜好者を除いて、多くの人は人を殺せない。古戦場から回収された銃のほとんどは弾が残ったままだった。撃つとしても空をねらうか、わざと標的から外れた場所をねらうか、命中率の低い長距離をねらってしまう。銃剣は切るものではなく刺すものだと教わっているのに、無意識に銃床(肩当て)のほうでぶんなぐってしまう。

歴戦の兵士や指揮官や兵法家が証言するように、何百年も前から兵士は敵を殺すことを拒否してきた。兵士は人殺しにまつわる罪悪感、嫌悪感、抵抗感から逃げてきたのだった。この本はその事実を具体的な証拠・証言から明らかにしていく。

映画で描かれる戦争や殺人をよく知っているだけにかなりおどろきました。兵士がみんな「ザ・もやしっ子」だったら話はわかりますよ。でも、じっさいはマッチョでタフな男女がうじゃうじゃいたわけでしょう。そんな人たちでも人を殺すのを避けていた。なんだか、これから映画を見る目が変わってしまいそうです。

兵士たちの発言が妙に生々しくて怖いです。戦場のトラウマとストレスの要因はいろいろあるんですが、自分を殺そうとしている者の憎悪にあてられることがあると言います。

ベトナム時代のあるパイロットが語ってくれたところでは、まわりの非対人的な高射砲はさして気にならなかったが、いちど敵の兵士がたったひとりで「自分の小屋のそばにさりげなく立って、こっちに慎重にねらいをつけている」のに気づいたときのショックはいまでも忘れられないという。個々の敵の兵士を識別できたことはめったになかったので、彼がすぐに感じたのは「おれがいったい何をしたっていうんだ」という心外な気持だった。

この「おれがいったい何をしたっていうんだ」はすごい。戦争をしているのに。このパイロットだって敵を銃でねらうことはあるだろうに。おそらく顔の見える個人から強烈な敵愾心を向けられると、そういう気持ちがわいてしまうものなんでしょう。やけに生々しく感じてしまいます。

戦場のトラウマとストレスによって兵士が精神的にまいってしまうことが多いらしいです。主な症状は、疲労、錯乱、転換ヒステリー、不安、妄想および強迫状態、人格障害。また標的との「物理的な距離」が近いほど殺人の抵抗感は大きくなり、トラウマも大きくなるとのこと。長距離のミサイルが最小で、近距離の素手が最大です。

だけど「人は人を殺せない、だから戦争をやめよう」で済まさないのがアメリカのすごいところ。なんと「人殺し」の心理学を調べつくして、最強の殺人マシーンをつくる訓練法を確立します。だいたい『フルメタル・ジャケット』で描かれていたとおりの訓練法ですね。わたしなりにまとめると:

1.権威者の命令
 権威を認められた指揮官は自信をもって命令をくだし、兵士は絶対に服従する。兵士が発砲を決意する最大の理由は「撃てと命令されるから」である。
2.集団免責
 命をあずける戦友とのきずなは厳しい訓練をともにくぐり抜けることで生まれる。戦友とのきずなは夫婦より強く、その責任感は兵士に殺人の抵抗感を乗り越えさせる。また、集団による匿名化で殺人の抵抗感を減らすことができる。
3.敵との心理的距離
 特定の階層を人間以下と見なしたり、敵の人間性を否定する習慣をつづけることで殺人の抵抗感を減らすことができる。これを「脱感作」という。ハートマン軍曹のセリフによく表れている。
 「俺は厳しいが公平だ/人種差別は許さん/黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん/すべて――平等に価値がない」
 「逃げるやつはベトコンだ! 逃げないやつは訓練されたベトコンだ!」
4.条件づけ
 銃の装填や伝統的な射撃術を反復することで、たとえ意識がもうろうとした状態でも反射的かつ瞬間的に撃つ態勢に入れるようにする。

フルメタル・ジャケット』の射撃訓練では白くて丸い的を撃ってましたが、じっさいはリアルな人型を撃っていたそうです。ケチャップをつめたキャベツを撃って、血がとばっと飛び出ることに慣れる訓練もくり返しくり返し反復して「条件づけ」する。

こうした殺人をリアルに再現したリハーサルのおかげで、人間を撃ったときでもリハーサルだと思いこむことができる。フォークランド帰還兵は「敵は第二型(人型)標的としか思えなかった」と語ります。

時計じかけのオレンジ』式の訓練も行われたそうです。恐怖の度合いが増していく映像を特殊な器具でまぶたを閉じられないようにされ頭を固定された状態で見つづけ、恐怖心を克服すると報酬が与えられる(映画とは逆)というもの。これも「脱感作」のひとつ。いやはや、キューブリック監督が大活躍ですね。

ぞぞっとしたのは、暗視ゴーグルを使った夜間の戦闘。ストレスが大きい近い距離だけど敵はぼんやり緑色に浮かぶだけなので殺人の抵抗感がほとんどないんだそうです。まるでゲーム感覚。この本の後半では、ゲームやホラー映画は知らないうちに殺人マシーンの訓練をしていることになるぞ、と警鐘を鳴らします。

日本の有名な殺人集団である新撰組はどうだったんだろうと読みながら思いました。新撰組のみんなが2%の殺人嗜好者だったとは考えにくい。それに近距離から日本刀での殺人だから、最大級のトラウマとストレスがのしかかっていたはず。けっこうな人が精神的にまいっていたんじゃないかと思います。

尊王攘夷の過激派を主に取り締まった、殺したので、「敵との心理的距離」は保たれていたと言えます。たとえば「あいつらは日本を滅ぼす、われわれの行動は正しい」と頭から信じることができれば殺人の抵抗感は減らせる。しかし考え方がちがうだけの同じ日本人だから、人種間にまたがる戦争や殺人――たとえばユダヤ人虐殺――とは異なるでしょう。

もしかすると新撰組は加藤泰監督の傑作映画『幕末惨酷物語』みたいだったのかもしれません。

文庫で500ページ超えの分厚い本なんですが、内容や引用にくり返しが多くて「あれ、これ読んだぞ」と思っているうちにさくっと読み終わってました。雑誌連載をまとめたものなのか? それとも元軍人ならではのくり返しによる「条件づけ」文章法なのか?

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カテゴリー: 書籍

「専門家おやじギャグ」の楽しみ

わたしは本を読んで「専門家おやじギャグ」が思い浮かんだときがいちばん楽しいかもしれません。

たとえば『考古学の教室』で紹介されていた相沢忠洋さんは、群馬県ではじめて日本の旧石器を発見した人ですが、戦後の貧しい時代に納豆を売り歩いて発掘資金を貯めたそうです。また、ギリシャ神話の都市トロイアを発掘したシュリーマンは貿易で発掘資金を貯めます。

そこで思いついた「専門家おやじギャグ」:

助手「発掘資金が足りなくなりそうです」
教授「きみは納豆を売り歩きなさい。わたしは貿易で一発当ててくる」

はじめて聞いた新入生は笑うかもしれませんが、耳にタコができている助手は「この化石教授は酸性の土に溶けて消えろ!」なんて思ったりする。微笑ましい一場面であります。

人類進化の700万年』では、インドネシアのフローレス島で、脳の大きさが現生人類の三分の一以下、身長一メートル、体重二十~三十キロの”小型人類”が発見されたことが紹介されていました。「ホモ・フロレシエンス」と名づけられたその人類は、病気ではなく正常な大人でこの小ささだったらしい。

フローレス島ではほかにもステゴドンというすでに絶滅している小型ゾウの化石が見つかっています。そこから導きだされたのは「島嶼化」の可能性。外敵が少ないため身を守る必要がなく、また食料が少ないためエネルギー消費を抑える必要がある島の環境では、動物は小型化する。すなわち「島嶼化」で人類が小さくなったのではないか?

「ホモ・フロレシエンス」の脳は小さいながらも側頭葉が発達していて、火や石器を使っていた。つまり知能の発達は「脳の大型化」だけではなかった、ということが(いろいろな仮説が正しければ)わかります。

そこで思いついた「専門家おやじギャグ」は……ポリティカル・コレクトネスにより婉曲的にしますが:

助手「島の発掘に不必要なものは置いていきましょう」
教授「賛成だ。きみはまずミニモニのCDを鞄から出しなさい」

たぶん、まだわたしが知らないような、その筋だけで通じるようなおやじギャグがたくさんあるんでしょうね。アニメ関係者が電車に乗ると「遠くの山は0.3ミリ/1コマの引きだ」と言ったり、地面に落ちた影を見たら「ダブラシが濃いな」なんて専門家おやじギャグをかましたりします。

カテゴリー: 音楽

三井誠『人類進化の700万年』を読む

三井誠『人類進化の700万年』を読みました。2006年までの発掘・論文から人類進化をたどっていく内容です。教科書で習った「常識」が塗り替えられていく刺激的な読書でした。テレビや新聞で知っていた内容も多かったですが、まとめて読むといっそうおもしろかった。

わたしが教わったころの人類進化は「猿人→原人→旧人→新人」とひとつの人類種がみんなで一直線に進化したことになってました。それがいまの研究によると、たくさんの人類種が生まれては消えて、生き残ったのがわれわれ現生人類(ホモ・サピエンス)なんだそうです。

じゃあじっさいどれくらいの人類種がいたのか? 残念ながら定説はないとのこと。化石のちがいを細かく見て新種をどんどん増やすスプリッター(分離主義者)は20種以上いたと考えているし、細かいちがいは個体差と考えて新種をあまり増やさないランパー(統合主義者)は10種ほどと考えている。

スプリッターからすれば「分類は厳密さを優先するべきだ」。ランパーからすれば「新種だと報道されやすいから細かく分類してるだけだろ」。攻防はいまもつづいているそうです。いずれにしろ少なく見積もっても10種の人類がいた。

いまのところ「多地域進化説」よりは「アフリカ単一起源説」が支持を集めているらしいです。ヨーロッパにいたネアンデルタール人や、東南アジアにいたジャワ原人はわれわれに通じる現生人類ではなく、どこかで絶滅した種だった。北京原人もどこかで絶滅し、本田博太郎さんの健闘むなしく興業的にも失敗したと考えられています。

卵子しか伝えないミトコンドリアの遺伝情報をさかのぼった人類の祖先、いわゆる「ミトコンドリア・イブ」もだいたい二十万~二十五万年前のアフリカにいた女性だったので、調べ方はまだ完璧とは言えないながらも、アフリカ単一起源説を裏づけていますね。わたしたちの祖先はアフリカで生まれた。進化の舞台はアフリカだった。かもしれない。

この本ではほかにも「直立二足歩行」や「脳の大型化」や「出アフリカ」や「言語の使用」について、あれこれの説を論文から引っ張ってきて、説得力のある部分と批判されがちな弱い部分をまんべんなく紹介しています。著者はどれかの説を強く押そうとしてないし、わからないことはわからないと書いてくれるので、安心して読み進められます。

わたしがとくに興味をひかれたのは「音楽の起源」と「ペットの起源」ですね。

「音楽の起源」は三万七千~三万年前にさかのぼります。いま見つかっている最古の楽器は、ドイツ南西部の洞窟で発見された象牙のフルート。それまでに発見されていたフルートは、もともとなかが空洞の水鳥の骨に指でおさえる穴を開ければ完成するものだった。いっぽう象牙のフルートは、まず半分に割って、なかをくり抜いて、空気が漏れないようにまたくっつけて、という手間のかかった一品。

生存に有利だったわけじゃないのに、労力をかけてまで人類は音楽を、芸術をもとめたんですね。なんだか胸が熱くなります。でも、もっと簡単につくれる打楽器、単音の笛が見つかってないのはふしぎです。

「ペットの起源」はネコは約九千五百年前、イヌは約一万五千年前にさかのぼります。地中海のキプロス島で、地位の高い人の墓に石器や装飾品といっしょにネコの骨が見つかる。アフリカ北部に生息するヤマネコで、おそらく穀物をねらうネズミ駆除のために飼いはじめ、だんだん愛着がわいたと考えられています。

イヌは、東アジアの人たちがオオカミを家畜化して狩猟に使ったと考えられていて、だから農業がはじまる前まで起源がさかのぼるんだそうです。きっとペットにしているネコやイヌを食べちゃって叱られる与太郎がいたことでしょう。

この本の第四章では日本人のルーツをさぐります。『考古学の教室』でも読みましたが、酸性の火山灰が多い日本では人骨は溶けて化石に残りにくいそうです。

沖縄は石灰岩の地層が多くて人骨が残りやすいらしく、採石場から約一万八千年前の「港川人」が発掘され、この骨がジャワ島の「ワジャク人」に似ていることから「東南アジア起源説」の証拠になっている。また、縄文人は、彫りの深い顔立ちと小さい歯からやはり「東南アジア起源説」が強かった。

しかし遺伝子研究で縄文人のDNAを調べてみると、均一な集団ではなく二十五のクループにわかれ、グループごとに中国・韓国・モンゴル・ロシアで同じ遺伝情報を持つ人が見つかる。

つまり「南」や「北」や「渡来系」など、いろいろな時代にあちこちから人類が日本列島にやってきて混血をくり返した結果が、いまの日本人につながっているわけですね。

きのうの『考古学の教室』ときょうの『人類進化の700万年』を読んで予習したので、ようやく楽しみにしていたアン・ギボンズ『最初のヒト』を読みはじめます。

最初のヒト』はもくじを見るかぎり、人類進化と化石ハンターをめぐる内容で、「ルーシー」から「トゥーマイ」までの化石をあつかっています。たぶん情報の広さと量で言えば『人類進化の700万年』のほうが濃いかもしれませんが、化石ハンターのおもしろ話が堪能できればいいなと思ってます。

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カテゴリー: サイエンス, 書籍

菊池徹夫『考古学の教室』を読む

菊池徹夫『考古学の教室』を読みました。副題「ゼロからわかるQ&A65」のとおりQ&A形式で考古学のあれこれを解説してく内容です。とてもいい本だったので、図書館レンタルだったんですが購入決定。

この本のあつかう範囲はひじょうに広いです。たとえば遺物研究の型式学的方法・分布論的方法・民俗学的方法・科学的方法ほか、炭素年代測定(C14法)とその問題点、出土品の保存方法、発掘されない植物性日用品、日本で発達した土器の編年法、日本考古学の歩み、考古学の主な研究テーマ、まだ解けない謎、などなど。

けっこう泥臭い、土臭い話も出てきます。資金ぐりの話から、考古学の学問としての価値、2000年に起こった捏造事件のてんまつ、考古学教授の多忙な一年、民間発掘会社による効率至上主義のずさんな仕事ぶり、などなど。どんな業界にも不都合な真実や苦労話があると思うんですが、それを愚痴っぽくならずにわかりやすく書いていきます。

以下、専門的なことは避けて、おもしろかったところを拾っていきます。

明治時代の考古学者・坪井正五郎さんの狂歌はユーモラスでした。

遺跡にてよき物得んとあせるとき 心は石器 胸は土器々々

解説するのも野暮ですが、この石器は「急き立てられる」の「急き」ですね。土器のほうはエスパー魔美の第65話『ドキドキ土器』と同じ。現在ではこのアニメのように一般人が許可なしに発掘することは文化財保護法によって禁じられています。

著者が学生のころのエピソードは笑いました。掘り出した人骨を竹や新聞紙でつつみ電車で運んでいたとき、新聞の破れ目から大腿骨が見えていたらしく乗客に通報されて、駅を降りたとたんに警察に連行された、というお話。著者もおどろいたでしょうが、電車のなかで人骨を見た乗客もさぞかしおどろいたことでしょう。なにごともなく無事に済んだようですが、もし遺物の人骨が折れでもしたら、これがほんとの(以下略)。

考古学の主な論争は、さかんに論争されているポイントだけに、おもしろいネタが転がっていそうです。主なところを拾っていきます。ちなみにこの本ではそれぞれの論争について紹介だけで深く突っこんではいません。

  • 土偶、石棒、環状列石、銅鐸、埴輪などの性格や用途について
  • 前方後円墳の形はなにをかたどったのか
  • 縄文時代の終末年代をめぐるミネルヴァ論争(山内清男と喜田貞吉)
  • 炭素年代測定法の信頼性をめぐっての縄文時代実年代論争
  • 縄文文化の系譜
  • 弥生水稲耕作の伝播ルート
  • 三角縁神獣鏡は国産か中国産か
  • 日本人の起源・系統論(小金井良精と坪井正五郎のアイヌ・コロボックル論争)
  • オホーツク人の系譜(モヨロ貝塚の発掘から)
  • 蝦夷アイヌ・非アイヌ論争(古代史と関連)
  • ムステリアン論争(F・ボルドとL・ビンフォード)
  • ひだびと論争(赤木清による考古学研究の目的論)
  • 縄文時代の農耕や階層社会の存否
  • 日本列島の中期・前期旧石器文化の存否
  • 江上波夫の騎馬民族渡来説をめぐる論争
  • 法隆寺の再建・非再建をめぐる論争

ヨーロッパの「実験考古学」は心底すごいと思いました。じっさいに竪穴式住居をつくり、暮らしてみて、やがて朽ちて平地にもどるまでを世代を超えて観察するというもの。わたしたちは百年ほどしか生きられない、死すべき運命をもった人間(あえて宗教用語mortal)だということを誰よりも理解しているのがヨーロッパの考古学者なのかもしれません。

考古学は総合科学だと考えられています。ざっとならべると、地理学、地質学、土壌学、土木工学、測量学、写真術、図学、物理化学、建築史学、動物学、植物学、農学、岩石学、鉱物学、解剖学、生理学、自然人類学、古生物学、化石人類学などの多くの基礎科学が必要で、石室の天井に天文図が見つかれば天文学だって必要になる。そんな考古学者を著者は指揮者にたとえます。

考古学はいわばオーケストラのコンダクター。様々なパートで鳴らされる音を丹念に拾い集めてまとめ上げ、人類史というシンフォニーを再現しようと努めているのです。ただしスコアなしの演奏です。

また、下のような著者の姿勢に共感しました。

とかく考古学は、なぜか難しそうな用語を勝手につくり、しかも仲間うちならともかく、一般市民相手に話す時でも、平気で(中には得意げに)使う人がいます。私も授業で学生にこのことをしばしば注意します。君たちはなるべくごくふつうの表現、できれば中学生でも分かる言葉、基本的には国語辞典にも載っている日本語で語るべきだ、と。

たとえば「柱穴」は口頭で「チューケツ」と言ってもわかりにくいから「柱の穴」に言い換える。「埋土(まいど)」なら「うめつち」のほうがわかりやすいし、「焼土(しょうど)」なら「やけつち」のほうがわかりやすい。土器の「ナデ」や「ハケ」は説明してから使うほうが良い。特殊な業界用語であることをつねに意識することが大切だと語ります。

たまにポストモダ~ンな文章を書く人がいるじゃないですか。建築系都市論の南泰裕『トラヴァース』みたいな(おもしろい本です、念のため)。専門用語なら仕方ないけど造語のくせに説明なしで使う不親切きわまりない文章はポストモダ~ンすぎます。せめてポストモダンぐらいにとどめてもらいたい。

もしかしたらこういう著者の姿勢は、考古学の伝統的な「遺跡の現地説明会」がベースにあるのかもしれません。広く一般に情報公開するという優れた慣行ですが、ほかの学問分野でも同じようなことをやったらいいんじゃないかと思いました。

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カテゴリー: サイエンス, 書籍

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読む(2/2)

(つづき)

パイパー夫人は、ウィリアム・ジェイムズ(ASPR創設者)と奇跡的に出会い、幼くして亡くなった息子ハーマンの名を当てたり、封をされイタリア語で記された手紙をどういう人物が書いたのか当てた。SPRのほかの科学者たちもパイパー夫人の特異な能力にたびたびおどろかされます。

ジェイムズのハーバードの同僚もそのひとり。同僚は、クリスマスに交換した指輪に掘られていた文字を教えてほしいと告げ、パイパー夫人は見事に当てた。しかも、当てたのは何年も前になくした方の指輪だった。教養人にして科学者で心霊主義を信じない同僚も「不思議だということは認める」とジェイムズに手紙を寄こすほどです。

SPR設立から時間はすぎ、科学者たちのなかに亡くなる人が出てきます。ガーニー、シジウィック、マイヤーズが死ぬ。そこで研究者ふたりと霊媒ヴェロール夫人、霊媒パイパー夫人の計四人で死んだ彼らの霊を呼び出す交差通信の実験を行います。

ヴェロール夫人は学者なのでラテン語がわかる。パイパー夫人は小学校しか出てないのでラテン語はわからない。死んだSPRの科学者たちはラテン語がわかる。ガーニー、シジウィック、マイヤーズの霊と交信できるなら、たとえパイパー夫人にラテン語が理解できなくても、彼らにはラテン語の指示が伝わるはずです。

交差通信の手順は次のとおり(わたしがまとめました):

1.SPRの研究者はケンブリッジにいるヴェロール夫人を監視する
2.SPRの研究者はロンドンにいるパイパー夫人を監視する
3.パイパー夫人のトランス状態を待つ
4.パイパー夫人もしくは支配霊にマイヤーズへの「伝言」を頼む
  そのさい「伝言」はラテン語で読みあげる
5.合言葉か記号をつけ加えて「伝言」の内容をヴェロール夫人に伝えるよう「依頼」する
  そのさい「依頼」はラテン語で読みあげる

パイパー夫人を通じて受けとった「伝言」をマイヤーズの霊は「依頼」どおりにヴェロール夫人へ伝えることができるのか、しかも言語の壁を越えて……という実験ですね。その結果は、もうおわかりでしょうが、ぜひ本書でお読みください。

心霊研究はかなり偏見が強いので、ほかの科学者が疑うことのできない完璧な証拠が必要だったようです。でも、霊媒を通じた交信は気まぐれで、まちがいも多く、うまくいったり、うまくいかなかったりで「再現性」がまるでない。悲しいことに、パイパー夫人は体調を崩したときほど的中率が上がったそうです。

哲学的科学が物理的化学へ移っていく時代だからこそ強く「再現性」がもとめられたのでしょう。SPRは数々の実験結果を持っていたものの、その発表ではかなり困ったようです。でも気体や重力ならともかく、人間のやることに「再現性」をもとめるのは酷と言えます。

物理的科学が生物学的科学へ移ろうとする現代なら、たとえば脳科学や非線形科学のように「再現性」をもとめない方法で心霊研究ができるんじゃないかとわたしは思います。日本でも千里眼事件の二の舞にならないように誠実な研究が行われる日を楽しみに待ちたいです。

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カテゴリー: サイエンス, 雑記

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読む(1/2)

デボラ・ブラム『幽霊を捕まえようとした科学者たち』を読みました。ノンフィクションで題名どおりの内容。いつもならざっと速読しちゃうような本ですが、じっくり味わいました。

名だたる科学者たちが学界の地位を捨ててまで心霊研究にかかわった理由がおもしろかった。

1859年にダーウィン『種の起原』が出版されて、科学と宗教の対立が激しくなります。いまでもつづく「進化論」vs「創造論」ですね。科学が宗教をこてんぱんにやっつけてしまったら、道徳が崩れてしまうのではないか? でも、もし幽霊や死後の世界などが科学的に解明できれば、新しい道徳装置になるかもしれない。ウィリアム・ジェイムズは語ります。

はなはだ見くびられた”心霊主義者”と心霊研究協会が、信仰の新時代をになう団体になるでしょうか? なるのもたしかに妙ですが、ならないと、ほかにその仕事ができる組織はありません。

また、超自然的な力をはじめから考えに入れない機械論では説明できないことがこの世界にはたくさんある。それを解明するのも科学の役割ではないのか?

そんなこんなで1882年にイギリスで心霊現象研究協会(SPR)が設立されます。SPRに入会する理由は科学者ごとにさまざまですが、当時の科学界にはこういう風潮があったんでしょう。

けっこう分厚い本ですが、社会情勢や科学者たちをていねいに描いていきます。

ウィリアム・クルックスは大の女好きだったようです。仲間から美人女性の霊媒のときは客観的に調査をしてないと評価されたり、まわりからクルックスは霊媒と関係をもっている情夫だ、なんて噂が広がったり。クルックスは電子の存在を知らずに「クルックス管」を発明。当時の科学者が電子を知らなかったように、幽霊や超常現象にも知られざる理由があるのかもしれない、と考えた。

エレナー・シジウィックは合理的・科学的な懐疑主義者です。おもしろいのは、なぜ「服の幽霊」が出るのか? という疑問。シャツやスカートにも死後の生があるとは考えにくい。ここらへんは小野不由美『悪霊シリーズ』の読者にはたまらない内容でしょう。

エレナーの考えでは、幽霊が服を着ているのは、話の信憑性にとって表面的にはマイナスである。科学的に辻褄が合わない。だが一方で、なぜこれほど多くの信頼できる目撃者がそれを見ているのか理由がわかれば、そもそも人はなぜ幽霊を見るのか、その理由に近づけるかもしれない。彼女はそう考えていた。

SPRは科学者だけでなく、有名な霊媒やその信奉者、心霊主義者がたくさん在籍していたのですが、エレナーの報告書はそんな人たちを怒らせるほど否定的だったようです。「すぐにいきり立つ人たちには、もううんざり」と言っていた。

マイヤーズは、ひそかにこころを寄せていた人妻アニーが自殺して落ちこむが、ノートルダム寺院近くの汚い路地でふしぎな出来事に会う。客が正しい文字に触れればラップ音が知らせるというアルファベットを記した木札が霊媒によってひとつずつ選ばれ、名前をつづった。アニー・マーシャルの名前を。

ヘンリー・シジウィックは、彼が現れるとラップ音は止まるし霊は消えてしまう。観察に何時間かけても何も起こらない最悪の心霊研究者だった。

悪いのは自分だ、とシジウィックは日記に書いた。自分には仲間の研究者のような能力に欠けている。エレナーにはもっと観察者の才能があるし、マイヤーズはもっとねばり強いし、ガーニーはもっと判断が的確だ。みんなが自分より魅力的な仕事をするのも不思議はない。
だがシジウィックにも、役立ちそうな長所はいくつかあった。彼はそれも書き出している。自分は正義を信じている。公正な心を持っている。人の話をよく聞く。それに、仲間たちを見渡してみて、もうひとつの才能にも気づいた。優秀な人材を集める才能である。

こういうダメだと思っていた自分の才能に気づくパターンはいいですね。わたしは『ガンバの冒険』のみんなが代わりばんこでリーダーを務める回を思い出して、ぐっときてしまいました。

そんなシジウィックに見いだされた人物、リチャード・ホジソンは、大柄でたくましく、陽気な皮肉屋で、ワーズワースと詩を愛し、生活の習慣をきちんと守る(就寝時間や食べものなど細かい)、生れながらの研究者だった。ホジソンは死んだあとにも霊媒を通じて会話したりと大活躍です。

アメリカ心霊現象研究協会(ASPR)の会長サイモン・ニューカムは、イギリスSPRの情報収集――噂を集めたり、新聞に広告をのせて一般人に超常体験を書かせたり――が科学的方法とは思えず、いきなり米英のSPRは対立します。イギリスSPRのエドマンド・ガーニーはそれに対抗してこう言う。

なんらかの価値があるのは、善意で寄せられた事例の五パーセントぐらいでしょう。でも、残りの九十五パーセントにも身をさらさなければ、その五パーセントはけっして手に入らないのです。

SPRの活動はマダム・ブラヴァツキーなどの霊媒師のいんちきを見事に暴いていきますが、しかし五パーセントの真実は残った。それが霊媒レオノーラ・パイパーです。パイパー夫人のサイコメトリーや自動筆記はいんちきやトリックが見つからず、しかも研究すればするほど常識を超えた能力に科学者はうろたえます。

(つづく)

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チーズケーキ番長がゆく! 宇田川カフェ、PRONTO、可否茶館

渋谷の宇田川カフェでチーズケーキを食べました。濃厚なレアチーズ、下にさくさくのタルト生地、そしてブルーベリーソース。定番の組み合わせでおいしかったです。夜に撮ったので写真が汚くてすいません。渋谷は夜になると急に食べる場所に困る街なので、宇田川カフェはとてもありがたいですね。

PRONTOでニューヨーク・チーズケーキを食べました。実にふつう(ほめてます)でおいしかったです。強烈な個性はないですが、だからこそ毎日食べても飽きない味と思います。えー、短いですが以上。この写真はGR DIGITALで撮りました。

阿佐ヶ谷の可否茶館でレア・チーズケーキを食べました。ほんのりヨーグルト風味の珍しい味わい。チーズっぽさはほとんどありませんが、甘さひかえめでおいしかった。はじめて可否茶館に行ったのですが、コーヒーや食べものはおいしいし、空いてるし、夜遅くまでやってるし、けっこう穴場かもしれません。

こうチーズケーキを食べ慣れてくると、やっぱり際立った個性がほしくなります。そろそろ番長はイート・インできるお店ではなく、通販を使う時期が来たのかもしれません。さしあたって、にちゃんねるチーズケーキ・スレッドではおなじみ、濃厚系最右翼トロイカを注文しようかと思ってます……お金があるときに。こうご期待。

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