アニメーター Archive

twitter-log 動画マンのころ

  • 2008/04/14
    動画マンのころ:私のアニメーターとしての初仕事は小池健監督『World Record(アニマトリックス)』。そのあと川尻監督『X(CLAMP原作)』、りん監督『CAPTAIN HERLOCK』をやった。線も影も多く、動画初心者にはつらい仕事だったし、じっさい稼げなかった。
  • 2008/04/14
    動画マンのころ:当時の私は、線も影も動きも少ない『デ・ジ・キャラット』に食べさせてもらっていた。昔から萌えアニメが苦手なのだけど、いま私がアニメーターをつづけていられるのは、デジコのおかげかもしれないと思う。
  • 2008/04/14
    動画マンのころ:余談。古いビルのころ、中国からマッドハウスに研修にきた人が「こんな猫の霊が憑いている会社では働けない!」とすぐに帰ってしまったそうだ。そのとき、まさか……と『デ・ジ・キャラット』のポスターをみんなで見つめた、という笑い話が残っている。

補足:私はマッドハウス出身です。

twitter-log アニメ麻雀

  • 2008/08/28
    アニメ麻雀:宮崎駿は配牌も打牌もでたらめだが、なぜか国士無双を上がるなどする。押井守は理屈っぽいわりにオカルトな打ち筋で、こっそり流し満貫を狙うのが得意。今敏は合理的なデジタル麻雀で危険牌もばんばん打ち、喰いタンが得意。庵野秀明は麻雀ができない。大友克洋は牌の絵柄を彫っている。
  • 2008/08/28
    アニメ麻雀:高畑勲は平和がらみの手堅い打ち筋でリーチが入ると怖い、ツモ重視は共産主義のなごりか。富野由悠季は三味線を弾くが小和了でコツコツ稼ぐ、不器用なせいかたまに山を崩してゲームを台なしに。出崎統は上がれば満貫以上の大きい手を狙う豪腕、ここぞという場面で三暗刻を決める。

twitter-log 宮崎駿と宮崎吾朗

  • 2008/03/18
    googleでも出てこないが、宮崎駿『シュナの旅』はチベット民話「犬になった王子」をもとにしているものの、同型の民話は日本にもある。それは「穀物盗み(IT9)」で、御伽草子にもあるし、『古事記』や『日本書紀』の神話にも同じモチーフはある。
  • 2008/03/18
    ただし「犬になった王子」は女の子が男の子を救うという点で宮崎駿的だと思う。穀物盗みの類型は名前のとおり「穀物を盗む」ことがポイントで、登場人物はいろいろ。弘法大師が主人公だったりもする。
  • 2008/05/16
    麻丘めぐみ「アルプスの少女」はとってもいけない歌だ。”スカートの裾がひるがえる、ダメよ、あの人に見られたら恥ずかしいわ、恋してるアルプスの少女”。宮崎駿さんが聴いたら怒り出すぞ!
  • 2008/07/28
    『崖の上のポニョ』の唯一の不満はだらしないスローモーションの使い方だった。わずか数カットだけだが、ヌーヴェルヴァーグ以来のシネフィル的にはNGだし、アニメーションの「時間への誠実さ」もOUTだろう。この一点のみは「宮崎駿、老いたり」と感じさせた。
  • 2008/08/01
    宮崎駿はスーパーマンに登場するロボットをそっくりにまねした。よく「ビデオもない時代に…」とか「記憶力が…」とか言われるが、紙と鉛筆でメモくらいできただろうと思う。
  • 2008/08/01
    その宮崎駿がパクッたフライシャーのスーパーマンは、ここで無料で見られる。http://tinyurl.com/yu4wvg
  • 2008/08/07
    あることに怒り、怒った理由を説明したり、他人の指摘するうちにさらに怒りがこみ上げてしまい、いよいよ手がつけられなくなるタイプの人がいるな、とNHKの宮崎駿さんの番組を見て思った。かんたんに言えば「気分屋」。
  • 2008/08/07
    そういう怒りのスパイラルは、放っておくか、笑いでごまかす方がいいと思った。もしその怒りの理由はまちがいであると否定すれば、自分の怒りには正当性があると主張するだろうし、正当性があると確信するとまた怒りが増幅してしまう。
  • 2008/08/19
    宮崎駿さんの名言・迷言「電気でつくったものは人の心を打たない」の「電気」はデジタル機器のことだろうが、言葉どおりに実践して、洞窟壁画を描くことにする。暗い中で左右にたいまつを動かすと、壁画が動いて見える錯覚を利用したアニメーション。これは心を打つにちがいない。
  • 2008/07/30
    テルー「ライフをインポータントしない奴なんてヘイトだ!」
  • 2008/06/25
    人のゲド戦記を笑うな。
  • 2008/08/29
    宮崎駿さんには雷が「吾朗吾朗」と聴こえるらしい。
  • 2008/11/24
    アニメーターの私は『もののけ姫』開始7分30秒ほどにある「ゆりかご」に感動した。手間のかからないリピート作画で生活感を出すテクニックで宮崎駿にかなう人はいない、と思った。大きなハンマーで杭を打つ場面も宮崎作品にたびたび登場するが、これも楽なリピート作画で生活感を出せる。うまい。

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『どろろ』を見た

 映画館で『どろろ』を見た。それなりに楽しく見たのだけども、この作品の最大の欠点は、監督が川尻善昭さんじゃないことだ。たとえば、目の模様がある蝶の妖怪なんて、どう考えても箕輪豊さんが原画を担当するパートだろう。子供時代は赤堀重雄さん、どろろの女性らしいところは阿部恒さん、百鬼丸の母は田崎聡さん、カラス妖怪との戦いは小池健さん、木の妖怪との戦いは林秀夫さん、怪獣っぽい妖怪との戦いは浜崎博嗣さんかな、なんてふうに、担当するアニメーターを想像しながら見ると楽しいと思う。もちろん、百鬼丸が赤ん坊のころ、目も鼻もなにもないかわいい姿は兼森義則さんの担当なのだ。ああ、なんて面白そうな『どろろ』だろう!

 アニメーションであれば、そして監督が川尻善昭さんであれば、しょぼいCGなどのもろもろの欠点が逆に利点として、作品のこの上ない魅力になったにちがいない。ただ、西部劇にしてはぬるいし、加藤泰には及ぶべくもないけども、罵倒されるようなひどい作品ではないと思う。

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『TOKYO TRIBE2』を見た

 アニメ『TOKYO TRIBE2』の第一話を見た。面白く、そして不気味な作品だった。原作漫画はむかし読んだきりで内容は忘れてしまったけど、たぶん原作を忠実に再現しているのだと思う。原作の構造を「忠実に」、拡大解釈して描いているように見えた。

 ひとことで言えば「外側はぎらぎら飾り立てるが、中身は空っぽ」という構造を脚本・演出・作画・美術のすべてに徹底している。たとえば、日本刀や拳銃はばんばん出すのに、警察は出さない。街中でバットを持ったあやしいやつがいても、それを見るまわりの一般人は大きく描かない。渋谷や池袋という場所をパラレルワールドのような記号性で描く。そもそもSARUのメンバーがどんな「しのぎ」をやってるのか描かない。そのくせ転倒するバイクはカットを割ってじっくり見せたりする。

 また、日本刀で切られた腕が夜空に舞うように、トラックにはねられた人がぽーんと飛ぶように、なにもかにもが軽い世界をつくっている(とうぜん死も軽い)。富と権力を持つパワフルな人物を、そのまんま「からだが巨大」という漫画的な描き方でこなしてしまう。

 すかした感じ、空っぽな感じは、わざとやってるんです、わかっててあえてやってるんです、という雰囲気をまずつくること。それでいてポイントは外さないようにすること。こういう「インテリやくざ」的な演出のこころみは、かっこつけることで逆にかっこ悪くなるという『サムライチャンプルー』の失敗に学んだ結果ではないかと邪推したくなる。アニメって基本的にはかっこ悪いものだから。

 わたしは「人間の眼球を焼くと魚みたいに白くなるぜ!」というすてきな場面くらいしか原作を憶えていないのだけども、SARUのメンバーは煙草を吸わないんだろうか。あと、レコード屋で買うのはCDでいいのか(狙ってやってるのかもしれない)。レコードを書類管理のようにバーっとすばやくチェックする芝居はアニメ的に「おいしい動き」なので、うまいアニメーターに描いてほしいな、と思う。第一話のわりに原画・動画・仕上げが荒いのは残念だけど、エンディングの作画はすばらしかった。

日々の泡

 アニメーターとして五回目の確定申告は、あとは提出すればいいだけになった。まったくもって、やっかい極まりない作業である。わたしは収入が少なく、配偶者はなく、住宅ローンを払ったりしてないから、まだ楽な方なのだ。まるで理不尽な暴力をうけているようにも感じる。

***

 すでに閉鎖しているのだけど、はてなアンテナに登録しておいた某サイトが更新されたみたいで、アンテナの上の方に引っかかっていた。いよいよ復活かと、よろこんで訪れたら、あいかわらずプライベートモード(閉鎖)のままだった。ブログが雨後のタケノコのように生まれる昨今だが、アニメや漫画の面白い考察が書いてあるサイトは実に少ない。そのなかの数少ない良質なサイトも閉鎖か更新停止の一方である。残念でならない。よく眠れ、くたびれ果てたホーボーよ、いくつもの町を通りすぎるレールの響きが聞こえるだろう、それはホーボーの子守唄。

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 冬物の上着のそで口が、どれもこれものびのびで驚いてしまった。これは妖怪「ゴムのばし」のしわざにほかならない。すっかり毒気が抜けて頼りなくなった某氏ではあるが、こうなった以上はお願いするしかあるまいと、妖怪ポストあてに手紙を投函しようと思ったが、ふと気づいた。わたしは仕事中、いつも腕まくりをしている。妖怪の正体見たり腕まくり。この世にふしぎなことなどなにもない、のであった。

***

 すっかり毒気が抜けて頼りなくなった某氏、というか鬼太郎は、全国のこどもから、身近にいる妖怪とか、うわさ話とか、ふしぎな出来事とか、そういうお手紙をもらって、それをネタに作品をつくったらいいのに、と思う。ちょうど都市伝説ブームも来ていることだし。関係ないが、映画『口裂け女』の予告に「花粉症対策ばっちり“口裂け女マスク”付き前売券」とあって、映画館で噴きだして笑ってしまった。これ、ナイスすぎる。

シュール渋谷、アニメーター志望の若者に見てほしい作品

 所用で渋谷を歩いていたら、歩道わきの柵に腰をかけて漫画を読んでいる外国人を見かけた。ぴったりしたスーツを着込み、不精ヒゲを生やしていて、おしゃれタウンならではの雰囲気である。ふと、なにを読んでるか気になって覗いてみたら、いましろたかしの『トコトコ節』だった。急速にシュールな空間へと変わる渋谷。おかげで、その日はすばらしい気分で過ごすことができた。

 某所で、アニメーター志望の若者に「これだけは見ておいてほしい作品」をひとつ選べ、というむずかしい問いを出された。あれもいい、これもいい、あんなのも好きだし、これだって外せないぞ、なんてけっこう真剣に考えた。なにしろ、あびるように見ているのだから一筋縄ではいかない。最終的に『劇場版 エースをねらえ!』を挙げた。いまふり返っても良いチョイスだったと自分で満足している。あえて次候補を挙げれば『ホーホケキョ となりの山田くん』か。この二作には、日本的な「アニメ」と純粋芸術としての「アニメーション」を娯楽作品のなかで両立させていて、映画であり、すこぶる面白い、という共通点がある。

トコトコ節 (Cue comics) 劇場版 エースをねらえ! ホーホケキョ となりの山田くん

年収

 去年、2006年はけっこう生活が楽だったな、と思っていたのに、年収を計算したら2005年よりだいぶ下回っていておどろいた。ひとつの会社に居座っていたから振込みのタイミングが読めたことと、無駄づかいしなかったことが大きな理由かもしれない。

 もっと仕事をいれようと思えばできるし、そうすれば収入が上がることもわかるのだけど、アニメや映画を見たり、本を読んだり、くだらない思索にふける時間がないとわたしは肉体的・精神的にバランスが崩れてしまう。「おっつかっつ」精神で生きているんだなあとあらためて思った。

キマイラの新しい城、南家こうじマジック

 『キマイラの新しい城』、中世騎士が怪馬バイクにまたがって、トキオーンのロポンギルズ(六本木ヒルズ)などを舞台に大暴れするという、不思議なミステリ。早朝のミスドでくすくす笑いながら読んだ。楽しゅうございました。

 殊能将之作品は「これはミステリだ!」と決めこんで読むと、良い具合に外されていって、最終的にとんでもない場所にたどり着き、「いちおうミステリだけど、それ以外のところで楽しめた」となる。脱構築っぷり、換骨奪胎っぷりが個性的なんだろうと思う。活劇がちゃんと活劇してるところと、銃を使わせないところがうまい。

 いまごろ「ぴえろキッズ らいおんキネマ とロット」を見た。背景といい、ロボットの芝居といい、男の子のくしゃくしゃの髪型といい、南家こうじさんのすばらしいところが発揮されていると思う。たとえば男の子がひょいと上を向くだけの芝居でも、南家マジックにかかれば、こんなにチャーミングになるのだ。「しずんでる」のところも、胸がキュンと鳴るほどかわいい。ばりばり週一ペースくらいでつくってもらえないかしら。もっと見たい。

キマイラの新しい城 (講談社文庫)

『赤毛のアン』の感想で書き漏らしたこと

 第47話「死と呼ばれる刈入れ人」には号泣させられた。棺おけに横たわるマシュウの画には、近藤喜文さんのたましいがこもっている。これは『赤毛のアン』のすばらしいところでもあるのだけど、いきなりこの第47話を見ても、さほど面白くはないだろう。ここに来るまでの47話ぶんを時間をかけてすべて見たものにしか味わえない感動がある。種子をまき、水をやり、しっかり育てた者にだけにやってくる「刈入れどき」である。

 宮崎駿監督『ハウルの動く城』で、ハウルが机に刻印されたマークを消す場面がある。ここで使われる魔法が、魔法らしく見えるのは、ただ単にその場面のカット割がうまいからではない。たとえば冒頭のハウルとソフィーが飛ぶ場面、まわりのハウルの評判、なぞに満ちたハウルの行動、またはソフィー自身も知らなかったポケットの中身をハウルが見当てる行為、なぜか風が起きてゆれる髪、現実性のない色の激的な変化、などなど。

 こんな積み重ねがあるからこそ、魔法が魔法らしく見える。奇跡が奇跡に見える。たったひとつの魔法を描くために、これほどの迂回をしなくてはならないという、まさに演出らしい演出だと思う。でも、これを文章でしっかり語るのは面倒だし、むずかしい。つい、細田守の飛行機雲がどうのこうの、出崎統の三回PANがどうのこうのと、わかりやすく語りやすい演出ばかりに目が行きがちになってしまう(これは自省です)。

 『赤毛のアン』の演出は、そういう意味ではとっても語りにくいと思った。テレビシリーズならではの長尺を効果的に使った演出は、なにしろエピソードが多い。積み重ねがはんぱじゃない。好敵手ギルバートにまつわる演出をしっかり語るためには、比較的少ないとはいえそれぞれのエピソードを拾い集める必要がある。しかし、すべてピックアップしたらとんでもなく長い文章になってしまう。しっかり語ろうとするほど、そして効率よくまとめて語ろうとするほど、作品が、演出が、映像の豊かさが逃げていく。

 週一ペースでつくっているわりには、作画の大崩れがなくてすごい。残念なところだってそれなりにあるけども、致命的ではないと思う。わたしは気にならなかった。ときどき、ぎょっとするほど巧みな原画もある。

 コンテについて、カメラアングルについても書きたかったが、いまのわたしには無理だとさとってあきらめた。富野由悠季さんのコンテは、良く言えば作家性がある。悪く言えばうるさい。『母をたずねて三千里』のときのコンテもそうだけれど、どうしてこんなにくどいほど絵で説明したがるんだろうか。

 宮崎・高畑コンテは「絵で説明することなど、いつでもできる」という余裕があって、どっしり構えている。富野コンテは隙さえあれば「絵で説明してやるぞ!」と、あせっているようにも感じる。だから悪目立ちしている。たとえば第09話「おごそかな誓い」のブランコで遊ぶふたりの影からPANUPするカットなんて、やりすぎだろう。おそらく富野さんが基本的に絵を描かない、絵が描けない人だから、そうなるのではないか。その点で、同じ描けない演出家である高畑さんは落ち着いたものだ。もちろん、いまの富野さんのコンテは、このころとはだいぶ変わったと思う。

 ああ、まったく面白い作品だった。お話はだいたい知ってても、毎回わくわくしながら見ることができた。こういう演出をほどこしたアニメって、ぜんぜんなくなってしまった。なんとなく理由はわかるけど、実にもったいない。

赤毛のアン(1) ハウルの動く城 母をたずねて三千里(1)

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