デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』を読みました。タイトルどおり兵士の心理についての内容です。あちこちで絶賛される本だけあって、すこぶるおもしろかった。
2%の殺人嗜好者を除いて、多くの人は人を殺せない。古戦場から回収された銃のほとんどは弾が残ったままだった。撃つとしても空をねらうか、わざと標的から外れた場所をねらうか、命中率の低い長距離をねらってしまう。銃剣は切るものではなく刺すものだと教わっているのに、無意識に銃床(肩当て)のほうでぶんなぐってしまう。
歴戦の兵士や指揮官や兵法家が証言するように、何百年も前から兵士は敵を殺すことを拒否してきた。兵士は人殺しにまつわる罪悪感、嫌悪感、抵抗感から逃げてきたのだった。この本はその事実を具体的な証拠・証言から明らかにしていく。
映画で描かれる戦争や殺人をよく知っているだけにかなりおどろきました。兵士がみんな「ザ・もやしっ子」だったら話はわかりますよ。でも、じっさいはマッチョでタフな男女がうじゃうじゃいたわけでしょう。そんな人たちでも人を殺すのを避けていた。なんだか、これから映画を見る目が変わってしまいそうです。
兵士たちの発言が妙に生々しくて怖いです。戦場のトラウマとストレスの要因はいろいろあるんですが、自分を殺そうとしている者の憎悪にあてられることがあると言います。
ベトナム時代のあるパイロットが語ってくれたところでは、まわりの非対人的な高射砲はさして気にならなかったが、いちど敵の兵士がたったひとりで「自分の小屋のそばにさりげなく立って、こっちに慎重にねらいをつけている」のに気づいたときのショックはいまでも忘れられないという。個々の敵の兵士を識別できたことはめったになかったので、彼がすぐに感じたのは「おれがいったい何をしたっていうんだ」という心外な気持だった。
この「おれがいったい何をしたっていうんだ」はすごい。戦争をしているのに。このパイロットだって敵を銃でねらうことはあるだろうに。おそらく顔の見える個人から強烈な敵愾心を向けられると、そういう気持ちがわいてしまうものなんでしょう。やけに生々しく感じてしまいます。
戦場のトラウマとストレスによって兵士が精神的にまいってしまうことが多いらしいです。主な症状は、疲労、錯乱、転換ヒステリー、不安、妄想および強迫状態、人格障害。また標的との「物理的な距離」が近いほど殺人の抵抗感は大きくなり、トラウマも大きくなるとのこと。長距離のミサイルが最小で、近距離の素手が最大です。
だけど「人は人を殺せない、だから戦争をやめよう」で済まさないのがアメリカのすごいところ。なんと「人殺し」の心理学を調べつくして、最強の殺人マシーンをつくる訓練法を確立します。だいたい『フルメタル・ジャケット』で描かれていたとおりの訓練法ですね。わたしなりにまとめると:
1.権威者の命令
権威を認められた指揮官は自信をもって命令をくだし、兵士は絶対に服従する。兵士が発砲を決意する最大の理由は「撃てと命令されるから」である。
2.集団免責
命をあずける戦友とのきずなは厳しい訓練をともにくぐり抜けることで生まれる。戦友とのきずなは夫婦より強く、その責任感は兵士に殺人の抵抗感を乗り越えさせる。また、集団による匿名化で殺人の抵抗感を減らすことができる。
3.敵との心理的距離
特定の階層を人間以下と見なしたり、敵の人間性を否定する習慣をつづけることで殺人の抵抗感を減らすことができる。これを「脱感作」という。ハートマン軍曹のセリフによく表れている。
「俺は厳しいが公平だ/人種差別は許さん/黒豚、ユダ豚、イタ豚を、俺は見下さん/すべて――平等に価値がない」
「逃げるやつはベトコンだ! 逃げないやつは訓練されたベトコンだ!」
4.条件づけ
銃の装填や伝統的な射撃術を反復することで、たとえ意識がもうろうとした状態でも反射的かつ瞬間的に撃つ態勢に入れるようにする。
『フルメタル・ジャケット』の射撃訓練では白くて丸い的を撃ってましたが、じっさいはリアルな人型を撃っていたそうです。ケチャップをつめたキャベツを撃って、血がとばっと飛び出ることに慣れる訓練もくり返しくり返し反復して「条件づけ」する。
こうした殺人をリアルに再現したリハーサルのおかげで、人間を撃ったときでもリハーサルだと思いこむことができる。フォークランド帰還兵は「敵は第二型(人型)標的としか思えなかった」と語ります。
『時計じかけのオレンジ』式の訓練も行われたそうです。恐怖の度合いが増していく映像を特殊な器具でまぶたを閉じられないようにされ頭を固定された状態で見つづけ、恐怖心を克服すると報酬が与えられる(映画とは逆)というもの。これも「脱感作」のひとつ。いやはや、キューブリック監督が大活躍ですね。
ぞぞっとしたのは、暗視ゴーグルを使った夜間の戦闘。ストレスが大きい近い距離だけど敵はぼんやり緑色に浮かぶだけなので殺人の抵抗感がほとんどないんだそうです。まるでゲーム感覚。この本の後半では、ゲームやホラー映画は知らないうちに殺人マシーンの訓練をしていることになるぞ、と警鐘を鳴らします。
日本の有名な殺人集団である新撰組はどうだったんだろうと読みながら思いました。新撰組のみんなが2%の殺人嗜好者だったとは考えにくい。それに近距離から日本刀での殺人だから、最大級のトラウマとストレスがのしかかっていたはず。けっこうな人が精神的にまいっていたんじゃないかと思います。
尊王攘夷の過激派を主に取り締まった、殺したので、「敵との心理的距離」は保たれていたと言えます。たとえば「あいつらは日本を滅ぼす、われわれの行動は正しい」と頭から信じることができれば殺人の抵抗感は減らせる。しかし考え方がちがうだけの同じ日本人だから、人種間にまたがる戦争や殺人――たとえばユダヤ人虐殺――とは異なるでしょう。
もしかすると新撰組は加藤泰監督の傑作映画『幕末惨酷物語』みたいだったのかもしれません。
文庫で500ページ超えの分厚い本なんですが、内容や引用にくり返しが多くて「あれ、これ読んだぞ」と思っているうちにさくっと読み終わってました。雑誌連載をまとめたものなのか? それとも元軍人ならではのくり返しによる「条件づけ」文章法なのか?


