バート・D. アーマン『捏造された聖書』を読む(2/2)

(つづき)

では本文批判はどうやって改竄を見抜くのか? その方法がおもしろかったので、歴史的なこともふくめてざっとまとめてみます。

ユダヤ・キリスト教は書物の宗教としてスタートした。しかし聖書は識字率の低さと雑な手作業のせいでとんでもないミスだらけになり、くわえて解釈の多様性から改竄だらけになる。識字率が上がり、プロの書記があらわれ、印刷できるようになって、エラーたっぷりの聖書が大量に出まわることになり、現在にいたる。

本文批判はエラーを「外的証拠」と「内的証拠」にわける。

外的証拠は写本そのものを調べる。異文Aの書かれた写本が50冊見つかり、異文Bの書かれた写本が1冊しか見つからなくても、多数決にはならない。写本の数よりは、写本の年代や、底本が古いほうをオリジナルに近いと考える。しかし古ければよいわけではなく、最初期のテキスト伝承は質的にひどかったので、絶対的な基準にはできない。あくまで内容から合理的な取捨選択をおこなう。

異文の地理的な分布もある。地方で見つかる異文より、広範囲で見つかる異文がオリジナルに近いと考える。オリジナルと判断される文はふつう最良の写本グループから見つかる。写本グループには、ビザンチン・テキスト、西方テキスト、アレキサンドリア・テキスト(中立テキストをふくむ)がある。

内的証拠はテキストの内容を調べる。たとえば著者の文体・語彙・神学から、いかにも改竄しそうなところをさぐる。ある異文が著者の書いたそれまでの文と似ている場合は、改竄である可能性が高い。反対に、著者の書いたそれまでの文とちがっている場合は、改竄である可能性は低くなり、オリジナルに近いと考える。

書記がいかにもしそうな改竄もさぐる。たとえば書記はテキストの誤りや矛盾や神学を自分の思ったとおりに直す。ふつう改竄は、わかりにくい文をわかりやすい文に書き換えるもので、わかりやすい文をわかりにくい文にわざわざ書き換えたりはしない。だからベンゲルの「より理解困難な文こそがオリジナルに近い」という考え方が一般的になる。

以上の方法でたんねんに調べても、学者によって下す結論はさまざま。オリジナル・テキストの確定はむずかしいが、それが聖書の理解におよぼす影響は無視できない。

捏造された聖書

カテゴリー: 宗教, 書籍   パーマリンク

コメントは受け付けていません。