仏教学の私的なまとめ

仏教学の本をあれこれ読んだまとめ:

  • もうゴータマ・ブッダのことばは残ってない
  • だから残っている資料を解釈して「ブッダの言いたかったこと」を探すしかない
  • しかし解釈はそれぞれちがう論理が成り立つ
  • どの解釈を取るかは信念・信仰によって決めるしかない

というわけで、仏教学がいくら進んでも、いまの日本仏教のあり方と同じになりそうですね。それぞれの信念・信仰によって、それぞれの宗派を選ぶわけですから。学者さんにはがんばってほしいですが、この徒労感は……。

たぶん袴谷憲昭さん、松本史朗さん、津田眞一さん、宮元啓一さんは信念をかけて論争してるから攻撃的な書きっぷりをするんでしょうね。まあ、わたしは「論争は本でやるなネットでやれ!」と思いますし、人文系の脅迫するようなレトリックは信頼を落とすだけだと思いますが。

残っている資料でいちばん古いのは「パーリ五部」とその漢訳「四阿含経」らしいです。最初期は口づたえだから資料は残ってないとしても、いわゆる第一結集のものとか見つからないものでしょうか。死海文書みたいな考古学の発見があったら面白いのになあ。

カテゴリー: 宗教, 書籍   パーマリンク

コメントは受け付けていません。