同居人といっしょに映画館へ『叫』を見に行った。あまりにもストレートな「幽霊は飛ぶ」という描写にふたりでげらげら笑ったのだが、劇場で笑っていたのはごく少数の人だけで、ちょっと気まずかった。幽霊が飛んだり、いきなり現れたりする描写もそうだけど、ふつうにドアを開けて建物から出てくる描写もかなり面白い。『回路』では車のなかと無人の街を何度も切りかえしていたのに、『叫』ではもう新聞紙の舞う街を歩くだけで「廃墟になった街」を表現していておどろいた。役所広司の小汚い感じがとても良かった。水溜りにもちゅうちょせず、ざばざば入ってズボンを汚すのだ。幽霊が物理的に存在している(ように感じられる)世界だから成立する物語になっている。そういう意味で、黒沢清にしか描けない作品である。
そのあと飯田橋の東京警察病院に行き、開頭手術をうけた友人のお見舞をした。術後しばらくは、もうろうとした状態で、夢と現実の区別がつけられなくなったらしい。友人は「妄想が止まらない状態」と語る。
夢は現実を反映することがある。たとえば、ふとんから足がはみ出ていて、少しさむいな、と感じる。その現実を反映して、足を水につけて涼んでいる夢を見る。そのときふと目が覚めて、足がさむいことに気がつき、なるほど夢の原因はこれだな、と思う。ここに麻酔による昏倒、もうろう状態が加わると、そもそも現実だと思い込んだだけで、ふとんから足がはみ出ていることも夢の一部だったのではないか? という混乱が生まれる。いったい、どこまでが現実で、どこまでが夢なのか。夢だと思ったことは、もしかしたら現実を正しく認識できなかった結果かもしれない。現実だと思ったことは、少しだけ手のこんだ夢かもしれない。短時間のうちに、このような思考がぐるぐる回り、その間も夢を見て、現実を見る。未経験なのでよくわからないが、「妄想が止まらない状態」はこんなものかな、と想像する。
せっかく飯田橋に来たのだから、ということで、靖国神社を私的な理由で参拝した。あれこれジョークを飛ばして笑ったのだけど、不謹慎すぎてここではとても書けない。売店でのらくろ人形が売っていて、なるほど、と思った。
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