高畑勲の「アニメ・映画・アニメーション」

 WEBアニメスタイル – 高畑勲の「アニメ・映画・アニメーション」が面白かったです。高畑勲作品を「映画的」と「アニメーション的」と「アニメ的」のみっつの視点から語りおろしてます。わたしの言い方だと、小黒祐一郎さんによる高畑勲の地図づくりになります。あえて「アニメ的」をせまい意味で「若者のための刺激的な娯楽」とざっくりまとめたのが個性的ですばらしい。読みごたえのある記事になってます。

 わたしは小黒祐一郎さんとはちがった感じで高畑勲作品を見ています。小黒さんの「映画的」と「アニメーション的」と「アニメ的」の視点を使って言えば、高畑勲作品はつねにこのみっつの間をゆれ動いているように感じます。わたしが思う「映画的」については、こちらの日記を参照ください。

 たとえば『太陽の王子 ホルスの大冒険』は、物語は若者のための刺激的な娯楽っぽいところが強いですし、物語のテーマはプロパガンダ要素が強く、そういう意味では「アニメ的」な作品です。しかし「迷いの森」の描写はどうでしょう? ここは実に「アニメーション的」でした。さまざまな撮影技術を使って、精神世界を描き、心象表現を行っています。あと、ヒルダの二面性を表現するためのイメージの連鎖は「映画的」でした。ホルスが狼の群れと戦ったり、巨大なナマズと戦ったり、波に逆らって船を漕ぎだす場面のイメージの連鎖も実に「映画的」です。

 『火垂るの墓』はどうでしょうか。この作品では冒頭からいきなり「死」が描かれます。アニメーションは命のない絵や人形などを動かして、まるで生きているように見せる技術です。だから「死」を描くのはむずかしい。しかし、むずかしいからやってみたくなる。それは「アニメーション的」な欲望です。押井守さんも指摘するとおり、節子の遺体を焼く場面は、濃厚に「アニメーション的」な表現が見られます。また、リアリズムを基調としながらも、色の使い方は「アニメーション的」でした。若者が自分の世界にとじこもって自爆する物語は、ある意味で若者に向けられた作品でもあり、「アニメ的」と言えるでしょうか。いちいち挙げるまでもなく、雨、ブランコ、闇、蛍の光などのイメージの連鎖は「映画的」でもあります。

 ほかの作品もすべて「映画的・アニメーション的・アニメ的」のみっつの間をゆれ動いているように感じます。映画などの映像作品は、そんなにかんたんに「アニメ的だ!」と断言できないものですから、仕方ありません。「アニメ的だ!」と断言することで、たとえばホルスの「アニメーション的」な表現を無視するとしたら、それは作品を語ることで殺すことになってしまいます。

 高畑勲作品が、「映画的・アニメーション的・アニメ的」のみっつの間をどうゆれ動いていたか、あるいは、みっつの割合が作品ごとにどうちがうかを見ていくのも楽しいかもしれません。

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 やや批判的に書いてますが、WEBアニメスタイルのこの記事はかなり楽しめました。小黒祐一郎さんの主観が、個性がそこに刻まれていたから、わたしの主観・個性とのちがいもわかりやすく、くらべやすかったこともあります。理想的な地図づくりでしょう。なかなかアニメスタイルの性質上、むずかしいのかもしれませんけど、こういう記事がもっと読みたいですね。

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