ガラスごしにトランペットを眺める少年のような顔をしていたら、知人から少年よ…と声をかけられ『ケモノヅメ』の第一話を見ることができた。ありがとうございます。
これはすごい。こう言ったら怒られるかもしれないけど、演出家不在のアニメーターの作品である。これを見た美大生が勘ちがいしてアニメ業界に入ってきたらいいな、と思う。
アニメーターは豊かで奔放なイメージをつくる人である。演出家はねらいを定めたのちにイメージを的確にぶつけあい、つなげあい、反響させあう人である。たとえるならアニメーターは転がりやすい玉をつくる人で、演出家はビリヤード選手だろうか。このたとえで言うと『ケモノヅメ』はビリヤードの卓が玉でぎっしり埋まっているような作品だった。これはこれで面白いと思う。
原恵一監督は、宮本武蔵の『五輪書』を読んで、「拍子」ということばが気に入ったらしい。「拍子」はいまふうに言えば「リズム」になる。敵を倒すには、まず相手のリズムを崩すことと、自分も同じリズムで打ちこまずにメリハリをつけることが大切と宮本武蔵は言う。演出家・原恵一は「アニメも同じである」と言う。
『ケモノヅメ』には、豊かで奔放なイメージのなかに、あえて貧しく束縛されたイメージを挟んでみる演出家が必要かもしれない。あと、イメージがぶつかり合える場所をしっかり空けておくことを心得た演出家も必要だろう。いやしかし、このまま演出家不在で最後までつっ走ってほしいとも思えるふしぎな作品である。二話以降に期待したい。
そういえば『ゲド戦記』は、イメージがぶつかりあい、つながりあい、反響しあう映像の原理を、水の波紋がつくる乱反射のたった一カットでみごとに表現しきっていた。言ってしまえば、映画はイメージの波紋がかたちづくる複雑な水面そのものである。この乱反射の場面だけで『ゲド戦記』は永遠に記憶される作品であってよい。