アニメーションの曼荼羅

 「演出家の地図づくり」をやればやるほど、あるところで行き止まりにぶつかる。作品のなかに細かいノイズがいっぱい見つかってしまい、どうしても素通りできなくなる。もちろん「演出家の地図づくり」の目的は大きな特徴をつかまえることで、細かいノイズは無視するのだけど、それにしたって「理想的な演出家」がどうやってもかたちづくれない豊かな細部が作品のあちこちに顔をのぞかせてしまう。

 その行き止まりは、演出家が作品のすべてを支配していると考える作家主義の限界なので、そこまで来ればようやく次のステップに進むことができる。それは「技術の地図づくり」になる。

 あたり前のことだけど、アニメは演出家だけじゃなくて、脚本、アニメーター、背景、色彩、音響、編集などなど、いろいろなスタッフによる共同作業でつくられている。「演出家の地図づくり」をしっかりやっていれば、演出家の特徴(要求)にそれぞれの技術者がどう応えたのか、あるいはどう応えなかったかが、よりクリアに見えてくる。

 技術者は演出家の特徴(要求)にたいして技術で応える職人であると同時に、その技術者の内的欲求から創作を行う作家でもある。演出家の特徴(要求)にどう応え、どう応えなかったを計測することは、職人的気質と作家的気質を見分ける材料になる。加えて、技術者はたいてい何人かの演出家と組んでいるから、いくつかの演出家の地図を手がかりにして、「技術者の地図づくり」が行えるようになる。

 また演出家の特徴(要求)にたいして、技術がどのように進化・退化していったか、という「技術の地図づくり」も可能になる。むしろ特徴(要求)への対応と見なければ、あらゆる技術は語ることができない。たとえばレイアウト主義とかリアル系作画とか呼ばれるものはそこにおいて意味があるものになる。

 さて、「技術の地図づくり」もとうとう行き止まりにぶつかる。それでもなお作品に含まれるさまざまなノイズがいっせいに迫ってくる。豊かな細部は止まることなく押し寄せてくる。その細部は「アニメの歴史の地図づくり」に発展するだろうし、また「アニメはどう観客に見られているかの地図づくり」にも発展する。そのほかの地図にもどんどん発展していくだろう。

 アニメーション(ここでは商業アニメーションやセルアニメーションのこと)を中心とした曼荼羅を目指して、地図は大きく深く発展していく。アニメーションというまばゆいばかりの神秘を捉えるにはそれしか方法がないのだから。

(なんか変なまとめになってしまった……)

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