前の日記で、りんたろう監督の特徴をざっと書いてみた。かんたんに整理すると、
タナトス
=人物の内面をできるかぎり消す
=人物を物語の構造上のコマにする
=人物の姿をかぎりなく人間(観客)に近くする
=人物の姿を人間(観客)のあこがれの対象にする視覚のカタストロフ
=タナトス的な死を「祭り」という儀式を通して描く
=見世物(サーカス性)
=デカダンス
になる(もちろん特徴はこれだけではないですが)。それを踏まえて、次は具体的に作品のショットの連鎖から、これらの特徴を裏づける場面を見つけて、ひとつひとつ丁寧に抽出する。
ショットの連鎖がうまく抽出できたら、こんどはそれらを並べて不自然でないストーリーの傾向も割りだす。さらに、なんでもいいのだけど、たとえば「桃太郎」をそのストーリーの傾向に合わせて、いくつかのパターンで改編してみる。こういう特徴を集めるにはwiki的な情報収集が必要だろう。
これでようやく、りんたろう的な作品をつくる可能性が見えてくる。この工業製品っぽい擬似りんたろう作品をもっと具体的に想定するために、映画学の「理想的な観客」をまねして「理想的な演出家」を打ちたてると面白いだろう。
「理想的な演出家」は、言わばアニメのバケモノである。手も早い。絵もうまい。人望も厚い。打ち合わせのコミュニケーションも達者だ。そしてなにより重要なのは、描きたいものがない、ということ。創作においての内的な欲求がまるでない。したがって、あらゆる演出家の内的欲求を自分のものにすることができる。「理想的な演出家」には、あるときは宮崎駿が憑依して、またあるときにはりんたろうが憑依する。
もちろんこんな人間は現実には存在しないが、「理想的な演出家」を想定すれば、さまざまな演出家の作品のなりたちを逆算して計測することが可能になる。りんたろう、高畑勲、宮崎駿、出崎統、川尻善昭、佐藤順一、今敏、押井守、細田守、ほかいろいろな演出家の特徴を割りだして、それぞれの傾向をもった「桃太郎」を算出してみる。
ざっくり言えば、これは演出家の地図づくり(マッピング)だろう。どのような道をたどれば、その演出家の作品までたどり着けるかの「道しるべ」を点々と打っていくような内容になる。もし実現すれば、新しい評論の地平が、または創作指南の地平が開けるかもしれない。
ただし、この本が重要視するのは、これはあくまで著者の地図づくりであって、演出家を目指す人ひとりひとりがまたちがった地図づくりを行える、と強調することにある。「みんなも地図づくりをやってみよう!」と誘いかけるものでなければならない。地図づくりのひとつの例として、演出家を目指すたくさんの人につぎつぎに組み換えられて更新されていくものであるべきだろう。
誰かこんな本を書いてみないかしら。めちゃくちゃ大変ですが。出崎版の「桃太郎」は、おじいさんが鬼ヶ島に向けて出発する桃太郎に「旅とは……」なんて語るんでしょうかね(これはわたしの地図づくり)。