映画『時をかける少女』その3 (3/3)

 細かいところで気になったことを書きます。

 ところどころ大胆なほどエモーションの流れが途切れるので、感情移入のさせ方にむらがあるな、と感じました。主人公がタイムリープという不思議な能力に目覚めて、それがどうしたら発動するのか自分の部屋で試してみる場面がわかりやすいでしょう。この場面は、まずベッドを飛び降りて試してみる主人公からの視線で描かれます。その後、ベッドから落ちた音に心配した妹が部屋までやってきて、窓から飛び降りようとしている主人公を見つけ、あわてて引きずり落とすところまで、妹からの視線にシフトして描かれます。定石でいえば、この場面は主人公からの視線で統一して描き、観客もいっしょに不思議な能力の発動に興味を持つように、また荒唐無稽とも言える不思議な能力を受け入れる気持ちの準備ができるように描くはずです。が、そうなっていない。なぜこのように演出したのか?

 おそらく方向性のちがうふたつの演出をわざと混在させたのだと考えます。そのひとつは、愛嬌のあるばかな主人公が、ばかなことをやっている姿を遠くから眺めて笑うという『ひみつのアッコちゃん』でよく行われていた演出。前述の妹が部屋をのぞく場面やカラオケのところ、ジャイアント・スイングで飛んできた人を避ける場面などがそれにあたります。もうひとつは、主人公の気持ちの流れに観客を寄り添わせて、いっしょにあせったり、涙を流してもらう演出。恋愛がらみの場面がそれにあたります。このふたつの演出は構造的に矛盾しているため、混在させるのはかなり思い切ったこころみだと言えるでしょう。なぜなら、観客は主人公を外側から眺める観察者であるのと同時に、内側から共感して主人公そのものになりきらなくてはならないという、混乱した立場に置かれてしまうからです。

 ふつう映画ではよくあることですが、気になったのであえて書きました。感情移入させてなんぼの作品だとわたしは思ったので、感情の置きどころで迷って物語に没頭できなかった観客もいたのではないかとちょっと心配でした。なぜ方向性の異なる演出を混在させたのか、わたしにはまだ充分な理由がつかめておりません。これは別に、演出の正しさとか、良し悪しではなく、監督の個性についての私感です。ちなみに、前もって絵コンテを読んだ段階では気づかなかったことでした。映像で見てはじめて「あれ?」と。

 いっしょに見に行った同居人は「面白かったけど」と前置きしたあとで、「男ふたり女ひとりの仲良しトリオは現実感がない」とか「主人公がモテる理由がわからない」とか「女の子はもっとどろどろしとるで」と漏らしておりました。なるほどね。

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