ある日のわが家のこと。以下、平はわたくし平川、同は同居人。
平 「テレタビーズたちの名前をおぼえてる?」
同 「ラーラとポー」
平 「あとは?」
同 「忘れた。おぼえてない?」
平 「(長い沈黙のあと)たしか……ドテチンがいたか」
で、ふたりでげらげら笑ったのだが、そのあと同居人が『はじめ人間ギャートルズ』をほとんど知らず、「ドテチン」をただ語感で面白がっていたのだとわかり、日本人としての常識が足らなすぎると憤慨したわたしは、思わず同居人のことを「このドテチンが!」とののしった。
それ以来、わが家では「ドテチン」が流行っている。形容動詞っぽい使い方と言っていいのかわからないが、前述のとおり、武田鉄矢の「このバカチンが!」と同じあんばいで叫ぶことが多い。ことばの響きのユーモラスさのおかげで「バカチン」や「すかたん」のような罵倒のことばより角が立たず、使い勝手がよろしい。いずれは志ん生みたいに「だからおまえさんはドテチンだって言うんだ。ドテチンの取締みたいなやつだよ、まったく」なんて言えるようになりたいと思う。
もっと意味に幅をもたせてみるのも楽しいかもしれない。たとえばあなたが、父親の仇に復讐するつもりが、あやまって仇に仕えている自分の恋人の父親を殺してしまい、刑のため連行されることになったとしたら。
「生きるべきか死ぬべきか、それがドテチンだ」
と、独白してみよう。理由はわからないが、きっとさばさばした気持ちになれると思う。