ちょっと前回の感想が重たくなってしまったので軽めに書きます。その前に、前回の補足。シニフィエとかシニフィアンは、ソシュールの言語学の概念で、おそらく、りんたろう監督の本格的な論文を書こうと思ったら、確実に踏み込まなきゃいけない領域だろうとわたしは思っています。いや、実写と同じ概念で評論することはできませんから、すべてのアニメはここから語りはじめるべきなのかもしれません。最近の宮崎駿監督の作品が、神話的な人物を現実に生きるわたしたちと同じレベルで描くために、とてもわかりづらくなってしまう、というか致命的な矛盾を演じてしまう理由もここにあるでしょう。誰か書かないかしら。アニメの評論家にそこまでもとめるのは酷なことでしょうか。ああ、加藤幹郎先生、もっとアニメに光を!
映画『死者の書』はとっても面白かったです。画面が美しい。ただ口をあんぐり開けてぼーっと眺めているだけで幸せな映画でした。人形のぎこちない動きになんとも言えぬ愛らしさがあって、なめらかな動きが良いと評価されがちな作画アニメを描いているわたしは、うらやましいとさえ思いましたね。アニメーターとして注目したのは怒る芝居です。作画アニメの大塚康生さんや宮崎駿さんは、怒る芝居のとき髪の毛をざわざわ動かしますが、人形は着ている服がばさばさ動くんですよ。ぎょっとしましたね。自然現象ではもちろんありませんが、これは面白かった(でもミスだったのかもしれない)。
モブ・シーンの動きの省略ぶりに目を見張りました。「この尺ならこれくらいの芝居で保つ」という確信は、動かす労力の大きい人形アニメーションにとってなにより大切なことなんでしょう。郎女が二上山で光り輝く寺院にやってきたとき、遠くに望む岡の東塔が、絵で描かれた背景でした。この美術のすばらしいこと。ぽっくりぽっくり歩く馬、魂乞の布のなびき、酒を飲み語らうふたりの姿、ときどき作画アニメになる炎や水の表現、弓の鳴弦、「あっし あっし」の足踏み、語部の媼のおちゃめなダンスもよかった。こんな風によかった探しをはじめたら、いつしか映画のすべての場面をそっくり反芻してしまいそうです。「人形アニメーションの集大成」と言われることにも、なるほど納得できる、充実した画面でした。webアニメスタイルに「巨匠・川本喜八郎の意欲作 『死者の書』ワールドプレミア」というページがあります。ここの画像はきれいで、しかもいい場面を抜き出してます、ご参照ください。
わたしは原作を読んでいたのでなんとかストーリーについていけましたが、未読の方はちょっとつらいかもしれません。というのも、たとえば「わたしは
失礼ながら、映画館はがらがらだろうと思ってましたが、どっこい、けっこう入ってました。お年を召した方が多かったですね。若者が見るべき映画だと、見終わった後で感じました。いまは時代が進み、なかなかこういうアニメーションの原点をふり返れる作品はありませんから。下高井戸シネマでの公開は7/14まで、劇場で見たい方はお早めに。
資本主義の世の中で、しかも国家の文化的支援が世界でも相対的に低いこの日本で、こういう作品をつくるのは大変だったと思いますし、また実際に資金ぐりに苦労したと後で知りました。わたしは見る直前までこの映画を知らなかったのですが、見終わったあと「ひとこまサポーター」になりたかったと後悔しました。東京国際ファンタスティック映画祭がスポンサーが見つからないという理由で中止になるなどの、目を覆いたくなるような悲しい出来事が今後さらに増えていくでしょう。もはや国や自治体、民間企業に頼るのではなく、消費者が率先して金銭的な負担をする時代なのかもしれないな、と思いました。