『涼宮ハルヒの憂鬱』と山本寛さんのこと

 『涼宮ハルヒの憂鬱』の#12「ライブアライブ」を見た。絵コンテは連名だが、ABパート両方に山本寛テイストがあふれているのは演出処理をやっているからか? ライブ演奏の場面や、校舎中庭に一本生えた木の下でハルヒがごろっと横たわっているところなどがZONE”卒業”のPVそっくりで、なんというか相変わらずの豪腕投手ぶりが面白かった。

 山本寛さんのホームページで、妄想ノオトがちょっとだけ復活している。素直にうれしいし、なつかしかった。思い起こせば、このノオトの初期、黒澤明への傾倒ぶりを読んでから『旋風の用心棒』を見て、そののち小津安二郎ショックで急速に蓮實化していく日記を読んでから『ハレグゥ』とか『あたしンち』を見て、『ほしのこえ』の感想を読んでから『あたしンち』の「ベア研の文化祭」を見て、『害虫』や『リリイ・シュシュのすべて』や『あの夏、いちばん静かな海。』などの感想を読んでから『AIR』を見たり『フルメタル・パニック!』シリーズを見たのだった。くらくらするようなすてきな体験だった。ファンにとってはインプットとアウトプットの両方を眺められた幸福な時代だったと思う。その妄想ノオトは現在、ファイルが消されて読めなくなっている。

 映像作品は、映画的記憶と呼ばれるものによくも悪くも影響されるため、宿命的にフランケンシュタインの怪物になる。とくに山本寛さんは蓮實重彦を通過しているだけにその傾向が激しい。当時の妄想ノオトの読者は、フランケンシュタインの怪物に出会ったアナ・トレントだったのだ、と言えば、このくらくらするような体験が伝わるだろうか? たとえば妄想ノオト2003年11月の『人情紙風船』の感想をちょっとだけ引用しよう(これはすでに削除されてるものです、デリカシーがなくてすいません、でもやります)。

大胆なオフ・ショット、驚くほど流暢で現代的な芝居やダイアローグのテンポ、北野を思わせる省略法、そして二カット差し挟まれたあの「空」!ストーリーの描出という点ではどちらかと言うと抑制的とも言える演出の中でそれらの細部が強烈なまでの輝きを発している。

 山本寛作品を見た人の感想とすごくよく似ている。豪腕投手というのはそういう意味で、これは山本演出のひとつの特徴だと思う。なんだか「エヴァンゲリオンをリアルタイムで見られなかったの? かわいそうに」みたいなじじいの繰言になってるので、以上で終わり。

 山本寛さんがもしマキノ雅弘『次郎長三国志 第六部 旅がらす次郎長一家』を見ていたらこの作品はもうちょっとちがう進化をしていたかもなあ、なんて妄想しつつ、残りの回も楽しみたい。

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 (追記)そう言えばWayback Machineを使えば簡単にむかしの妄想ノオトは読めるのだった。なーんだ。ちがう意味でじじい的で恥ずかしい。なぜわたしが削除されているものを引用できたかというと、ぜんぶHDに保存していたからです。

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