山本周五郎にはまっている

 山本周五郎の小説『おさん』と『人情武士道』が読みおわり、いま『おごそかな渇き』を読んでいる。『おさん』の中の「その木戸を通って」がよかった。かなりアニメ向きの内容だと思った。不思議小説と言われる短編だけあって、よくわからないお話なのだが、よくわからないまま深く胸を打たれた。

 ストーリー上、ある不思議な、SF的な事件が起こる。その不思議な事件にたいする主人公のふるまいに打たれたのかもしれない。ちょっとネットで調べたら、この短編を市川崑がドラマ化しているらしい。タイトルにある「木戸」の処理はけっこうむずかしいはずだ。これをどう映像化したのか、あるいはしなかったのか、とても気になる。なんとかして見られないものか。

 ついでに映画『雨あがる』も見た。原作は山本周五郎で、故黒澤明の遺稿脚本を黒沢組のベテランのスタッフが映画化した時代劇。監督は長年助監督をつとめた小泉堯史。はっきり言って、ぬるい。でも、黒沢ファンや、映画ファン、業界内の人たちや評論家から、きびしい視線を浴びながらのむずかしい映画づくりだったんだろうと思う。少々の「ぬるさ」は「慎重さ」と言うべきかもしれない。

 わたしは黒沢明の映画を積極的に嫌うひとりなのだけど、この映画はぬるさも含めて好きだ。ファンにおなじみの黒沢映画の名場面を強引にストーリーにからめて(原作を無視して)引用してみせるあざとさが、グッとくる。すがすがしいほど媚びているのがいい。あと、馬がバシャバシャと川を駆けて渡るシーンは、映像も音もとてもよかった。

 しかし、この内容の映画でナレーションを使うのは演出家として、映画人としての敗北宣言ではないのか。そこらへんの野暮ったさも「黒沢組らしさ」なのかもしれないが。

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