宮崎駿の泣かせ方

 テレビで『耳をすませば』を途中から見る。主人公の少女が泣くとき、両手で顔を覆う「宮崎泣き」をしていて嬉しくなった。宮崎駿の描く少女は、クラリスもシータもナウシカも「宮崎泣き」をしている。パッと瞬間的に顔を隠しちゃって、アニメーションが苦手とする複雑な表情を描かなくていいし、涙を省略できるし、両手をはずせばすぐ泣きやむこともできる。見るたびに、これは偉大な発明だなぁと思う。

 しかしまあ、ちょっと可憐すぎる仕草なのか、男のいやらしい妄想の産物だと思われているのか、「宮崎泣き」をマネしてる作品は見たことがない気がする。嫌ってる人が多いのかもしれない。わたしは一度、やってみたいのだけど。

 キキがこの泣き方をやっていたかどうか思い出せない。千尋はおにぎりを持っていたから、泣くときも顔は隠さなかったっけ。宮崎論っぽいこと書いたくせに、いいかげんに記憶してるところがたくさんありそうだ。また宮崎作品をすべて見直さなくちゃ、と思った。

 先日、とあるアニメ業界のすごい人に「演出家を目指しているんです」と言ったら、「キミは理屈っぽい演出家になりそうだねぇ」と返され、わたしは苦笑いで「いやいや、これからはロジックよりパッション、高畑より宮崎ですよ」みたいなことを言った。

 それで宮崎駿についてあれこれ思い出しては日記に書いていたんだけど、けっきょく分析っぽいことをしちゃってるのが、わたしの限界なんだと思う。しかもその分析だって甘っちょろい、いいかげんなもので…。もう思い切ってちゃんとした論文を書いてみようか、などと考えるものの、「細田守と食べものの物語」の大失敗が頭をもたげる。論文だなんてお高く構えないで、この日記に書いている誤字脱字とか論理破綻がいっぱいの感想文の方が、わたしにはお似合いなのかもしれない。それに業界にいるつくり手の立場なんだから、考えたことは作品に反映させるのが冴えたやり方だろうと思う。じゃあこんな日記を書いてないで、その時間を仕事に充てたらどうかって話になるが……。ああ、ダメだ、あまり考えちゃいけない。どうせかしこい人間じゃないんだから。

 それにしても、なんだこの日記は。ハンパな理屈ばかはタチが悪い、という日記か。

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