アニメ、映画の女性

 仕事ばかりしていた一日。

 ばかな男の子を描くのは楽しい。とくに思春期のさかりのついたばかな男の子は、いい感じだ。女の子と目が合っただけで「あいつ、ボキに気があるな」なんて思ったり、スケベなことを考えている最中の顔を女の子に見られたら「心を読まれた!」とマジでうろたえる。そんなほほ笑ましいばかな男の子の絵には、自然と力が入ってしまう。ああ、これはむかしのオレじゃないか、と懐かしくなったりもする。

 でも、ばかな女の子はいけない。恋におぼれて、とか、スポーツにのめりこんで、とか理由のあるばかな女の子はチャーミングだけれど、ただただ愚かなのはせつない。さらに「男にとって都合のいいばかな女の子」は、いよいよダメだろう。そんな絵は描くのがしんどい。いま、正直に言うとかなりしんどいです。

 アニメーターは技術屋であるべきで、なるべくそんなことに頓着せず、無心で絵を描いていればいいのだ、考えるのは演出の仕事なのだ、という極論っぽいことを考えるんだけど、じゃあ演出志望のアニメーターはどうすればいいのか。考えれば、しんどい。考えなければ、アニメ的な安易さを認めることになる。しんどさを我慢するか、認めるか。やはり我慢するしかないのか。アニメという宗教を信じることだけはやめようと思う。
 帰宅した同居人に「きょうは不機嫌だねぇ」と言われた。

 やる気を取りもどすために、ハワード・ホークス『リオ・ブラボー』を見る。いいですねぇ。高校生のころ見たきりだったけど、けっこう憶えているものです。ハワード・ホークスの映画に出てくる女性は、たいてい頭がよくて、仕事もよくできて、セクシーだけど男に媚びるところがない。それがいい。アニメもそうであってほしい。

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